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銀河はラズベリーの香りがする。
銀河売りがこんなに流行する前。
宇宙飛行士として地球をみてきた
ひとりの学者と栞はつきあっていた
ことがある。
彼は「銀河はラズベリーの香りがする」
といつも言っていた。
栞はその世界に明るくない。
でもずるいよな。
銀河にラズベリーをくっつけてくるなんて
ずるいのだ。
宇宙と書いてひろしと読ませる彼の人生は
ほとんど軌道からはずれたことがない。
勉強が趣味のようになって、宇宙という名前のとおりに宇宙飛行士になって。
宇宙を愛しすぎたのだ。
彼の友達もひろしと言った。
でもひろしって宇宙が呼ぶだけだから
その名前の内訳を知らない。
そのラズベリー問題を投げかけた時
「あぁそれはギ酸エチルだね」ともうひとりのひろしは言った。
栞はますますわからなくなる。
っていうかラズベリーの匂いがすると言ったのはじぶんへの問いかけだったのだから、その問いをあなたがかっさらっていくなと
栞は嫉妬した。
栞は宇宙と話したいのだ。
知らないままがいいのかどうしようって
思ったけれど、ふたりだけが知ってることを
じぶんは知らないのがシャクで検索機能が青く誘っていたので栞は調べてみた。
ドイツの天文学研究所は、
「天の川、銀河の中心部に近い分子雲<いて座B2>内にギ酸エチルという分子が存在することを発見したそうで、ラズベリー風味を引き出してラム酒の香りがする」と記されている。
ちょっと待って。
ラズベリーだけでもかなり違反だったのに。
ラム酒の香りってなん?
これクックパッドじゃないよね?
って栞はひとりごちた。
「銀河はラズベリーの香り」に、
惹かれていたら誘われるように
ラム酒まで引き寄せていた。
あともうひとつ。
ステファン・グラビンスキの『狂気の巡礼』
という作品のなかで出てきた文章。
<惑星から始めて、様々な個人や出来事の人生の経過を細長い楕円として図形で示してやると、所与の個人は数学的な点が回るような方法で回った>
あははって栞は笑った。
ほんとうに声が出た。
まるっきしわからないことが日本語で書いてある文章を読むと笑える。
途中までわかった気になっていたのに、
さいごのくだりになると、とつぜん十字路で
迷ったような気分になった。
わからないってほんとうに孤独だけれど、かんたんに救われたりしない風通しのよさも、言葉にはあることを柄にもなく栞は知る。
つかまえたとおもったことばのしっぽが、するすると掌のなかからこぼれてけむりになってゆくような。
そんな文章に出会うととまどいながらも、
じっくりとすきになってゆくような気がする。
それって栞が宇宙君を好きになった時の理由とまったく同じだ。
いまあたまのなかはぐるぐるをとおりこして
なにかを、とりこぼしながらまわっている
ような感じになった。
栞はベランダに出る。
群青色のような空の色のどこかに
宇宙君はいるような気がしている。
なにもしらないままいなくなるな。
もっとおしえてくれたってよかっただろう。
ちょっと夜の空に向かって毒づいた。
ずっと向こうの向こうでほんとうの銀河売りになったのは宇宙君たったひとりだけなのだ。
それはとても悲しい栞にとっての誇りだった。
🌠 🌠 🌠
今夜もこちらの素敵な企画に参加しております。
小牧さんいつもありがとうございます。
お読みいただきまして感謝申し上げます。
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