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言葉はどこからやってきて、どこへゆくんだろう。

この間、ふるい喫茶店で話をしながら。
文章を書く時どんな感じで言葉が
手元にやってくる?

みたいな話になっていた。

言葉ってみなさんどこからやって
来るんだろう。
どこで決断してその言葉を選択しようと
どんな働きがあって、その言葉を獲得しているのかみたいなことに興味がある。

わたしは短歌をはじめた頃から
言葉はなにも浮かばない。
映像で頭に浮かんでしまう。
浮かんだ映像が頭にあるので、それを
こんどは逆に言葉に翻訳している。

そんなふうに答えたような気がする。

最近すこしだけ短歌づいていた。

TwitterXのフォロワーさんからゼロさんの
第一歌集が雑誌の『BRUTUS』に掲載されているよとポストでお知らせくださって。

遅ればせながら気づいた。
それも夏前ぐらいのことだった。

ええ?そんな昔の歌集がそんなことあるのかなって。
信じられない思いでした。
BRUTUS特集ほんとうはわたしには関係ないとあわてて買わなくて。後回しにしていた時に知ったことでした。

そういうあまのじゃくなところがあるので。
しょうがないやつだなってじぶんのことを思いつつ。

わたしはずっと短歌に馴染んできたわけじゃなく。
なんども、ふったりふられたりして腐れ縁のようなことを続けてきた気がする。

「短歌」はかつて馴染んだ好きだった人みたいなもの。
好きな人を遠ざけて生きてきた節もあるので。久々に会うと、
ぶしつけな「間」にでくわすたびに、あぁそうそうこの人、
こんなリズム持っていたんだって思いだす。
呼吸のリズム、不意の始まり、所在なげなさよならなど。

こんなふうにいつかポストしたけど。
ほんとうにこんな感じの距離感だ。

だからふいに、かつての歌集が二十年ぶりに掲載されているのを知って驚いた。




谷川俊太郎さんのあの名作『二十億光年の孤独』のお隣にレイアウトしてもらえている。
ふるえました。
こういう幸せってじぶんの人生に訪れると思わなかったのでほんとうにうれしいです。

いつもボキャブラリーは貧相なのだけど。
こういうときもこぞって言葉が引っ込み始めてしまうので、幸せと嬉しいのかわりばんこになってしまう。

これは恋している時に似ている。
恋してるときはあともうひとつ。
「わからない」がプラスオンされるけど。

うれしい、しあわせ、わからない。

このページに関わっていらっしゃる歌人の穂村弘さんはデビュー当時から第一歌集をお気にかけて頂いているので今も温かい眼差しで見守って頂けていることほんとうに
何物にも代えがたい幸せです。

短歌とわたしはほんとうにふしぎな関係なんだなって思います。

腐れ縁という縁は一生出会わなかったことにならないのだなと、しみじみしています。

ほんとうにわたしは短歌と出会ってしまったのだなと20年も経って実感しているとは。

そして同じく穂村弘さんに朝日新聞でも
ご紹介頂きました。


穂村弘連載『言葉季評』より。(朝日新聞)より。


まちがい電話の声さえ欲しがってるから言いそう「待ってた」って

この怖い歌をなぜか穂村さんには可愛がってもらっていて、
いつも懇切丁寧にこの感情を微分してもらっています。

“強い孤独が生む 心の誤作動”

もうこの一行でわたしのあの頃の心が救われた気持ちになりました。ありがとうございます。

そしてもうひとつ。
近頃はここにきてなぜだか短歌づいていました。次世代短歌さまに短歌とエッセイの依頼を受けて寄稿した短歌と文章が一冊の本にまとまりました。

アンソロジー本です。

ここに参加している28名の歌人のひとりに選んで頂けたこと、それもあの憧れの歌人の方などとご一緒出来るなんて、はあ、短歌と細々とでも続けてきてよかったと心より感激しております。


⇧Amazonでもご購入できますので、ご興味のある方はぜひどうぞよろしくお願いいたします!

宣伝ばかりで申し訳ないです。

このご依頼を受けてから、ああわたしは短歌とエッセイの世界がいちばん似合ってるかもしれないと。

これは単著ではないのですが。ゆくゆく短歌とエッセイの一冊を作ってみたいとそんな夢も抱いています。

noteのエッセイに短歌をひとつにしたもの。
そんな一冊がつくれるように頑張りたい。

夢はこちらから追いかけることもあるけれど。
むこうのほうから、思いがけなくたどり着いてくれることもあるんだなと、かみしめつつ。

最近つくった短歌を下に置いておきますね。
これからもどうぞよろしくお願いいたします!


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ゼロの紙 糸で綴る言葉のお店うわの空さんと始めました。
いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊

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