yesでもnoでもなく。「わからない」としか言えなかった。
シリアルにあったかいミルクを注ぐ。
イチゴやリンゴのドライフルーツに深緑を薄めたようなひまわりの種や
ココナッツのかけらが、浮かんでいる。
だたっ広い白い海のボウルの中に。
白いってところがはじまりのような、果てのような。
身もふたもないぐらい溶けてしまったシリアルは、なんだかもうすでに
年老いた人の食べ物のように思ってしまう。
それでも、わたしは子供の頃、砂糖のまぶされたコーンフレークばかり
おやつに食べていたことを思い出したりしている。
あの頃は、なにがイエスでノーだったんだろう。
根拠のないイエスと時折おとずれる頑ななノーに囲まれていたような。
どうしてこんなことを言っているかというと。
むかし、あの人が好きだと言っていた曲をYouTubeでみつけた。
もう砂糖まみれのコーンフレークは食べない年頃になって。
うっかり人をすきになってしまったりすると、このイエスとノーが、
どこか、跡形もなく消えてゆく。
ちょうど、その間にしかすべての答えがなっくて、選択肢はもうどこにもないような。
厄介だなって思いつつ。
yesとnoのその真ん中にある「わからない」という言葉しかわたしが発することが、できなかったことがあった。
机とコップ。
飲みかけのミネラルウォーターがコップの中で時折ゆれて。
ジッポのライターが、その人のてのひらの中で青白い炎が消えたり点いたりしていた。
〈わからない〉
何を訊ねられてもわたしが、声にするのはこの言葉しかなくて。
ふたりでまだ見ぬ淵を見ていたのか。
はじまりで終わりの時がそこにはあって。
おわりのはじまりのスイッチがあったのかもよくわからないけれど。
何時間そうしていたのか、わからない。
でもなにを問われても、ただただわたしは<わからない>としか言わなかった気がする。
これからふたりがどうなるのか、わからなかったし。
それは誰でもそうだろうけれど。
その、わからなさに賭けることもこわかった。
たった5文字だよ。
それが濃密な空間の中でとびかっているだけなんて、
ほんとうになにがなんだかわからない。
わたしは恋とかに向いてないんだと思った。
そして、答えをみつけたくないぐらいその人のことが好きなんだと悟った。
あの歌を好きだった人のことを考えながら。
yesでもnoでもなくと、綴りながら。
長調でも短調でもなくと、いま指が動く。
そういう音の連なりの事を<無調>っていうってずいぶん後になって、仕事関係の人が教えてくれた。
それは、その人がとある音楽家の方が出演していた番組で知ったらしい。
長調でもなく短調でもなくって聞いていて。
わたしはどうイメージが転んだのか、あの日好きだった人とふたりで
夜の淵を覗いていた時のことを思い出していた。
yesでもなくnoでもなく。
ただ「わからない」しか発せなかったあの頃のことを。
おそろしく他愛のない空間だったけれど。
すくなくともわたしにとってはまぎれもない、無調の音符がならんでいたのかもしれないと、思いながら。
今日も長すぎるひとりごとにお付き合いいただきありがとうございました!
ひとり気まま企画
今日は、思い切って、秦基博さんの恋の奴隷にしてみました。
ではどうぞ♬
水際で たしなめられてる ふつつかな指
ふたしかな 形をすくう 小石をすくう