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父の仕事場に飾ってあったもの。

ちいさな時になりたい職業がわからなくて

まわりのみんなに合わせて、適当にお菓子を

作る人って言っていた。

パティシエって言葉をまだ知らない頃だった。

あとは、幼稚園の先生が好きだったので

幼稚園の先生とかでたらめに言っていた

ような気がする。

書くことを仕事にしたいとは、つよく思った

ことはなくて。

書くことを習慣にしはじめたのは中学生

ぐらいだったけれど。

それでも、作家になりたいとかそんな夢を

抱いたことはなかったかもしれない。

日々、じぶんの心が不安定であることに

自覚があったので、書いて吐き出して

一日を無事に終えたことを確認して

眠りにつくことの繰り返しだった。

大学を卒業してとあるちいさな広告

会社に入った。

でも、打破できなくて2年ぐらいで、

そこは辞めてしまった。

辞めた後、父にひどく叱られた。

父とはそれまでもコミュニケーションが

上手くいった試しがなくて、どうして

わたしはこの父の娘なんだろうかと

悩んだ日々も多々あった。

職業柄父はわたしの勉強が出来さえ

すれば機嫌がよかったのだろうけど、

ことごとくそこに反していたので

勉強なんかしてやるかみたいな態度の

まま高校を卒業した。

高校三年の頃、ちょうど父が倫理に

反するようなことをやらかしてしまい、

それまで勤めていた職場を去ることに

なった。

父は医療従事者だった。

それまで勤めていた父の勤務先は、

救急救命センターも有するような

病院だったが、そのやらかしてしまった

出来事によって、父は故郷にひとり戻った。

母とは離婚したのでそのまま単身赴任

していた。

そしてその地で働くことになったのが

同級生の経営している田舎にあるちいさな

町の病院だった。

都落ちしたみたいなことを手紙に書いて

きたことがあったけど。

わたしにとっては父の職場が大きいとか

ちいさいとかのそこへの思いはさして

変わらなかった。

職場が変わったんだなという思いしか、

抱かなかった。

それぐらいわたしは父に対して無関心

だったのかもしれない。

父にとって働くということはなんなのか

なんて、養ってもらいながらも

考えたことはなかった。

そしてわたしもなんとか勤め先が

みつかったにも関わらず、できない

ことがあまりにも多すぎて、コピーを

どう書けばいいのかわからなくて

そのうちなにも書けなくなった。

人手不足のために見習い期間もさほど

なくて、いつもすぐに現場に出ていか

なければいけなかったからいつも

不安だった。

そんなこんなで後に心がやられている

ことに気づくのだけれど。

心が楽になるために書くことを覚えたのに。

その書くことを仕事にしたがために

心が押しつぶれてしまい書くことから

逃れたくて辞めてしまった。

会社を辞めた時、事後承認で父に言った。

継続できなかったことを嘆いていた。

甘いとも言われた。

この先仕事よりも、もっとつらいことが

あった時どうするんだとも言われた。

あの仕事より辛いことがあるのかと

その時はその言葉に反応した。

でもほとんどどの言葉も耳に入らなかった。

聞きはしたけれど、聞き入れたく

なかったのだとおもう。

そして悔しいけれど、ふと思った。

父がわたしのように心が折れてしまって

ふいと仕事を辞めてしまったらいまの

わたしたちはないんだなって。

母には不義理だったかもしれない

けれど。

仕事ということに関しては父は

同じ職業をずっと貫いたひとだ。

人の命を救う現場で生易しいこと

ばかりではなかったことは今なら

想像を働かせることはできるけど

あの頃はじぶんに精一杯でそれさえ

できなかった。

ある日、母に頼まれて父の職場に

書類を届けに行った。

父がひとりで使っている部屋だった。

相変わらず整理下手で机の上には

いろいろな紙の書類の束や専門書が

散乱していたけど。

きっちりとしているコーナーが一か所

だけあった。

ちいさな子供が描いたような絵や

あみぐるみのようなぬいぐるみが

飾ってあった。

そして父のような道に進みたいという

小学生の鉛筆で書かれた手紙も

飾ってあった。

なに? これ。

そう聞いたわたしに父はあまりみたことの

ない笑顔で答えた。

パパの患者さんの○○ちゃんと○○くんが

つくってくれたんや。

そう言った。

ここの町のひとたちってパパが勤めていた

あの大きな病院の時は考えられへん

かったけど。

身体をなおしてくれてありがとうの

こういう気持ちの伝え方を初めて

知ったんや。

ま、都落ちするのもわるくないな

って。

わたしはずっと父に本音なんかいうもんか

ぜったい本心なんか言わないままで

過ごしたいと密かに思っていたけれど。

その時の父の言葉は、ふいにもれでた

ほんとうのきもちのような気がした。

ここに飾ってあるのをみてると

元気でてくんねんで、とも嬉しそうに

つけくわえた。

父は、家ではただただ厳しいだけのひとに

みえた。

父が職場でどういうふうに人と関わって

きたのか、どれだけ人を救ったのか

わからない。

父の仕事のスキルもどれほどなのか

知らなかったけれど。

父は、ずっと同じ仕事に就きながら

ちいさな町の病院でこうやってかみしめて

いるってことは、いい仕事していた人

なんだなって他人のように思った。

そして、わたしは紆余があまりに曲折

しすぎてどうにかなってしまうんじゃ

ないかと思うほど仕事らしきものを

転々とした。

その度に時折なぜかあの時父の職場の

部屋に飾ってあった手紙や、絵や

ぬいぐるみを思い出していた。

仕事のよろこびって意外とこういう

ささやかな場所に宿っているもの

なんだなって。

父はわたしが会社を辞めた時さんざん

真っ赤になって、新聞を叩きつけて

叱ったけど。

あの時の父の職場の部屋を飾っていたコーナー

にあったものたちは、その後わたしが

やっぱり書くことを仕事にして再出発

してみようと思わせてくれる、励ましの

言葉よりもとても大きなものだった。

それでいい それもいい きっとそれがいい
ことばは きみにあげたから 返さないでいいよ






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