見出し画像

じぶんの気持ちまで、ググってしまおうとしていた。

薄緑色の野菜が、前菜に出てくる時、いつもウェイトレスさんの発するその名称にどきっとするような、うっとりするような。

ろまねすこ。

知っている人は知っているだろうから、今さらだけれど。

スーパーでもみかけるからあれだけど。

画像1

はじめて、ろまねすこを見た時の気持ちをちょっと前置きとして綴ってもいいですか?

ブロッコリーを幾分ひかえめにした、花が開いたような姿が、サラダになって白くて長いお皿のはじっこに、載っているのを目にすると、なんだかふいにやさしくなってしまうような、そんな気がした。

味も、野菜のようで、未然のものだった。

本来の野菜の輪郭すら忘れてしまったような。そんな種類の味覚を身にまといながら。

でも、いくらでも味わいたいわけじゃなく。

ひとかけら、ふたかけらで、いいよっていうそんな佇まいが気になって仕方ない。

ろまねすこ

古代ローマっていうか、イタリアと和が交じり合って、生まれた野菜なのかなって、想像してみた。

調べればいいじゃん、ググればいいじゃんなんだけれど。その時わたしはそれをしなかった。

そして想像をひたすら続けた。

遠くかけ離れたものどうしが、かけ合わされたのに(たぶん)どうしてこんなに淡いものが出来上がるんだろうって。

改良に改良をかさねた結果かもしれないけれど、元のなにかとなにかが、互いに溶け合っていて、とんがっていないところが気に入った。

競わないとか、引っ込むとかでもなくて。

そこにある状態を全身で受け止めて、お互いをあるがままに引き受けてるのね、ろまねすこって呟きたくなった。

淡いのにちゃんと存在していて。

名前にふさわしい風情をしている。勝手に名付けたのは人間だけれど、って。

花でも野菜でも名前っていつも不思議だと思っていた。
名前から何かをたどった時にみえてくる世界が、面白いなって思う。

名前もことばだし。
名前があるから存在しているのか、どっちが先だっけって思うこともある。

そう思うと、人もろまねすこも同じ地平に立っている気がしてくる。

たとえば、砂漠の真ん中あたりで。
うす緑の、開花前の植物のようなたったひとつと、対面したらどことなく、
ここで出会うのがあなたでよかったって、思ってしまうような。

そんな感情を引き出してしまう、ろまねすこ。

ほんとうのプロフィールは、そのパスタ屋さんでみる横顔だけで、十分だから、自ら検索に出かけずに、知らないままでいようと思う。

そんな日記を書いたのは、かなり前で。

検索することをググるなんて言っていなかった頃で。

オッケーグーグルなんたらなんたらを教えても、siriとかもなかった頃で。

それから時間が経って、まだわたしはなにかを書いているけれど。

文章を書いていると、じぶんのいる場所からどんどん遠ざかっていって、ちょっと戻れないような、気分になることがある。

でも、書いてしまうのはそこにたしかにわたしがいると思ってしまうからで。

あなたが存在しているのはどこですか?

って聞かれれば、恥ずかしいけれど、書いている時ですといけしゃあしゃあと、答えてしまいそうなところがある。

そして昨日。

わたしは、秋を感じるのはいつ頃からなんだろうってことを書こうとしていて、詩の言葉を思い出しそうになって、思いだして。

それは井坂洋子さんのエッセイの中で。

<裸足で砂浜に立っている時、片足だけあげてその足裏に冷たい風を感じたら秋だとおもうことにしている>

って、ま、そこまでは順調で、いつも通りで、その調べるという行為になんの疑問もなくて。

言葉を探しに行こうとググって。

ググったついでに、おまけにその時それを読んだ時に何を感じたかに加えて、わたしはどんな時に秋を感じているのか? ってことまでをも、ググってしまおとしている自分に気づいた。

自分の書き下したものの中から、じぶんの気持ちを探そうとしていた。

そして、季節のところどころにちゃんと栞をはさんでおくみたいですてきだなって思ったって、じぶんが書いたエッセイを、

今感じたことのように、なぞるようにそこがじぶんの今の答えであるかのようにしてしまおうとしていたことに、ちょっとおろおろした。

今わたしが、なにを感じているのかってことまで、ここにあるんだ。

ここにしまわれているんだ、サイバー空間の中にって思いこんでいた。

すべてがここ、たとえばPCの中にあるはずはないのに。

note書いている今の気分なら、デジャヴュみたいにすらすら言える。

小学生の時。

一週間前とかに遠足に行ってすぐの国語の時間に、

はい!教科書しまって! って先生がうれしそうに原稿用紙を配りながら、そこ!吉田!ざわつかない! とかって言ってるその顔をみている時に、
うぅしてやられた!って思うときと同じで。

同じ目に何回合えばすむんだ学習しなよって、いままさにそんな感じになっている。

書くということを、つきつめちゃだめだねってことで。

今日の一曲です。

ひとり気まま企画

#聞きながら書いてみた

だいすきなスガシカオさんの春夏秋冬です♬

かなしみが ねじれるときの 音を知ってる
長距離の ランナーひとり きそいあう夜 











いいなと思ったら応援しよう!

ゼロの紙 糸で綴る言葉のお店うわの空さんと始めました。
いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊

この記事が参加している募集