モノの置き場所、わたしの置き場所。
長い形の赤いサイフをむかし買った。
はじめての赤だったので、少しだけ、とまどった。
一緒に買い物についてきた人がそれがいい。断然赤が言いっていうから、そうかもって思って、ちょっと頑張って持つことにした。
赤は、なんだかじぶんじゃないような気がして照れてしまうのだ。
だれもみていないというのに。
自意識過剰だ、きっと。小さい頃からぜったい過剰だ。
で、案の定。これはわたしのサイフだよね?
と確認しないと、しばらくは少し妙な感じだった。
おまけに、仕様がいままでとちがうから、レジでクレジットカード、ポイントカードを出すときに、あたふたしてしまう。
でも、決してきらいなわけじゃなくちゃんとすきになりたいのに。
まだまだじぶんのキャラが追いついてない感じが、おかしいらしく、母もそれをみるたびに笑う。
本棚の奥のほうで背文字がちらっと見えただいすきな雑誌のページをめくる。
<ものはてれくさくないようにそっと置く>
という見出しにもういちど惹かれてふたたび読み始める。
大阪にある「Saji」という器のお店の取材記事だった。
店主はスタイリストとして活躍されていた方。
<あるひとつの器が売れて>次の器をそこに置いた時、<ひとつひとつ手作り>なのでなんとなくそぐわないときがあるらしい。
そんな時オーナーの彼女は、そのものが<しっくり来るようにカウンターの位置まで変えてしまうこともあるのだ>とか。
そんなモノとの対峙の仕方って。
もしかするとスタイリストという職業独自のものかもしれないけれど。
正直おののくのだけれど、遠くからは眺めていたい。
スタイリストっていう職業の人のことをあまり知らないけれど。
なにをどこに置くのかってことに、神経をとがらせている人なんだと思った。いまさらだけど。
考えたらこの置くっていう行為、わたしけっこうでたらめにやってきたかも。
今の部屋をみていても、野放図にいろんなものが置かれ過ぎてる。
本とファブリックと、マグカップとペンとタジン鍋と、アンティークランプがおなじ部屋に置いてある。
だから、スタイリストっていう職業の方って、すごいもういちど今さらだけれど。
モノが、ぴたっとあてはまる場所をいちばん知っている人なのかもしれない。
こんなふうに仕事が日常につながって、ていねいに暮らしているひとに、ほんとうはあこがれている。
どっちやねん。
もののあるべき場所ってあるんだなって。
それがなじむってことなのかもしれない。
ひとでもモノでも。
じぶんがいまどこに置かれているのかって、ちょっと問いが浮かんだ。
置かれた場所で咲く。
そんな言葉を聞いた時に、咲かなきゃだめなのかな?
って。
咲かずにいてもいいよねって思ったし。
咲きたいときに咲くよ、咲きたくなったらね、みたいないじわるな視線で眺めていた。
でもこのお店のオーナーの方のように、じぶんをどこに置くかって、大事かもしれない。
人の場合は居場所であり、モノの場合は置き場所なんだと。
で、長い赤いサイフ。
あれから少し時間が経ったので、今は鞄の中にあってもレジでもずっと前からじぶんのものだったようで、手にもなじんできた。
赤いことに関しては、あなた相当赤いねって感じは否めないけど。
なじむって時間のことなのかな? って思ったりしてみた。
とても憧れている人に一度だけ会ったことがある。
そのひとの近くに、思えばあの時わたしは置かれていた。
こんなふうにこんなに近くにわたしがあの人のそばに置かれているなんて。
そしてその人がはいている、いい感じに色落ちしたくたっとしたジーンズをみていた。
今ちょっと記憶を頼りに探しにいったら、トゥルーブルーって色に近かった。
そのジーンズは、この人といっしょに時間を重ねてきたジーンズだった。
そして、わたしはこの人とこのジーンズのように馴染んでゆくことが、これからできるのかな? って
そんなだいそれたことを、まだ若かったわたしは彼の事務所のふかっとしたソファの上にちょこんと置かれながら、彼の吐く煙のゆくえを追いながらそんなことを考えていたりした。
そして勝手にひとり企画 #聞きながら書いてみた
ということで、聞きながらつらつら書いたみたBGMが、こちらです。
そこにいる 生まれるまえも そこにいたんだ
ぼくはここ あなたもそこに いたんだね