夢を束ねて、置き去りにする。
ちいさな紙の束をたばねる。はじっこを出来るだけあわせて、
ばらばらにならないように、カキンとやる。
紙がすこし分厚い時のあの指にかかる微かな圧力の中には、
みえないぐらいの罪悪感が潜んでいる気がする。
ゆめを束ねて、置き去りにすると。いつまでも、記憶の中に収納
されたまま、なくなってしまうような気がする。
待っているから、すべてのことがやってくる訳じゃないことを知り
ながら。
待つことをちゃんと忘れようとしている時に限って、待っている
ことに支配されていることに気づいたときみたいに。
名も知らない蛾が、擦りガラスの外側で休んでいることを発見した。
雄か雌かわからないけれど。
休んでいるその蛾のまわりを、くるくると白地に微かにグレーの
模様の同じ種の蛾がまわっている。
そっとしておく。
音をたてないように。
いないふりをしながら。
はじめからいなかったもののように、ふるまいながら。
古い雑誌のぺーじをめくっていたら。
日本最古かもしれない明治半ばから末ぐらいのホッチキスの写真がでてきた。
U字型金属針(ステープラー)が、そのページには、ばらばらに散らばっていて。
①<縦穴のついた針をパンチ部にセットし>
②<垂直に強く押し込んで>紙を綴じるものらしい。
この商品を紹介していた推薦者の方は、
「どんな物にも、始まりのものがある」という文章から始まっていて
取材当時は、博物館に勤めている方で。
その前の職業は、企業のエンジニアだったらしく、仕事柄なのか、
こういう物のはじまりに、とても興味をそそられると記されていた。
そして、いまわたしは、
束ねることが仕事だった道具のはじまりを思う。
人々はその昔、何を束ねていたんだろうと思いを馳せる。
そんな時、たとえば紙をカキンとやるときどんな音がしたんだろう。
と、雑誌のページを眺めながら、その黒い塊のパーツから成り立つ
ごつごつした写真から想像する。
少し時間が経ったので、雑誌を置いて。
玄関の擦りガラスのところの蛾をみにいってみたら。
もういなかった。
はじめからいなかったかのようにいなかった。
わからないけれど。どこかへとむかって飛んで行ったらしく。
いなくなってる。よかった。自由を得たんだと思った。
ふたたび、ホッチキスでカキンとやる。
なにもなかったところに傷がついたみたいで、微量の罪の意識がよぎる。
そして、ちょっとだけあの人に言われた言葉を思い出す。
<いろいろ考えずにさ、俺の言うことだけを信じていればいいんだから>
好きな人に言われた。
少し前だけれど。今ならいろいろ引っかかるし個人的には炎上ものだと思う。
っていうか、少し前じゃなくてもそこには違和感がなければおかしい話だけれど。
カチンときた。
ぶっちっと、頭のなかの糸が切れる音がした。
わたしはなにも考えなくてもいいみたいに言われたことに、腹が立った。
そしてすべて終わったと思った。
こういうときに使うすべては、ほんとうの意味ですべてだ。
ホッチキスの音を聞きながら。
ものを束ねると、仕事が見えている分、自動的に爽快感がやってくるけど。
それとは裏腹に、きっと人には束ねられたくないんだなって思った。
以前、新川和江さんの詩「わたしを束ねないで」を読んだ時。
その言葉に惹かれたけれど、ほんとうのところ体感としてわからなかったことがあった。
でも今は、じりじりとその詩の意味が身体の名前のない場所を通してわかる気がする。
そう解放されたあの蛾のように。
蛾のいなくなった玄関の擦りガラスの空間が、残像のように頭のなかでついたり消えたりしていた。
今日も長いひとりごとにお付き合いいただきありがとうございました!
今日は、椎名林檎さんの「自由へ道連れ」です♬
どうぞおききくださいませ💃
ばらばらの 夢を束ねて そっと置いておく
手の平を 握ってひらいて のがれのがれて