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仏教各宗派の教え
◆◆各宗派の教え◆◆
◆臨済宗の教え
坐禅をすることで姿勢を整え、呼吸を整え、心を整える。
呼吸の数を数える数息観や、公案と呼ばれる禅問答に集中して悟りを目指す宗旨。
その悟りの内容とは「今」に集中すること、そしてあらゆることに対して「おかげさま」の心を持つことにある。
在家(出家しない場合)の修行法としては、坐禅会に通う、自宅で坐禅をする、お経を読む、写経をする等が挙げられるが、禅の修行は行住坐臥全てに及ぶとされ、日々の生活そのものが禅の修行であると説かれる。
当事者本人が坐禅出来ない場合でも、周りの環境が良くなるにつれて当事者へも良い影響が現れる。例えばよく修養した老師は、目を見つめるだけで救われた気持ちになる。
お寺の住職に事情を話して、坐禅会で、ただその場に座っているだけでも功徳がある。
回向により、支援者の坐禅の功徳が当事者に手向けられる。
◆浄土宗の教え
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ/なもあみだぶつ)」の念仏を十遍でも声に出して称えれば、必ず阿弥陀如来が極楽浄土に救い取ってくれるという宗旨。
極楽浄土は、縁のある人、家族友人が永遠に楽しく暮らせる場所。
このように死は苦痛ではなく安楽だと信じ切ることで、現世もいきいきと極楽浄土のような人生を歩むことが出来る。
当事者が念仏を称えられない場合には、支援者の回向により、功徳を得ることが出来る。
浄土宗は法然が開祖で、その弟子、親鸞は浄土真宗を開いた。
◆浄土真宗の教え
浄土宗の教えを基本に持つが、大きな違いは「私たちは皆既に、阿弥陀如来に救われている」という姿勢である。既に救われているので何の修行も必要ない、南無阿弥陀仏と称えることすら必要ではない、あえて称えるとすれば、それは阿弥陀如来に対する報恩感謝の念仏ということになる。
このことも、信じ切ることによって、幸せな現世が約束されるように人の心というものは設計されているのである。
◆その他の伝統仏教
真言宗・・・真言や陀羅尼(だらに)といった呪文を称えることで成仏を目指す。
曹洞宗・・・禅宗だが、悟りは求めない。坐っているそのままの姿が仏の姿であると説く。
黄檗宗・・・禅宗の一派で、臨済の師匠、黄檗の名を冠した教団。教えは臨済宗とほぼ同じ。
日蓮宗・・・南無妙法蓮華経の題目を称えることで成仏を目指す。
天台宗・・・比叡山に籠って修行をする。念仏、題目、坐禅、なんでもやる。この天台宗から臨済宗、曹洞宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗は分かれた。
自分の家の菩提寺は何宗かを調べてみるのも興味深いことです。