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重松清の「その日のまえに」を読んだ感想
重松清の短編集「その日のまえに」に書かれた「潮騒」が好きだ。
余命3ヶ月と宣告された42歳の俊治のある1日を描いた話だ。
俊治は結婚して、子供たちにも恵まれて、会社員として働いていたが
ここ最近の体調不良を気にして精密検査をしたところ、
唐突にも医者から余命3ヶ月と告げられたのだった。
俊治は、なんとなく重病だと予感しながらも、心のどこかで最後の希望にかけていた。
その希望が砕け散ったというのに、医師から告げられたその瞬間は
何故か彼の心は穏やかだった。
余命宣告された俊治はどこに行くあてもなく、電車に乗り、
ふと気づくと30年ほどまえに住んでいた海沿いのある町の駅に降り立つ。
30年という時の経過のせいで、以前よりも少し寂れてしまった町の商店街で
実家が薬局を営んでいた同級生の石川を訪ねてみたくなったのだ。
俊治の同級生だった石川は彼の想像通り家業を継いでいた。
ただ、石川の実家の薬局は今は全国チェーンのドラッグストアに変わっていたけれども・・・
俊治の父は転勤族だったので、俊治がその町に住んでいたのは小学3年生と4年生の2年だけだったが、俊治は小学4年の夏に「オカちゃん」と言う同級生を海の事故で亡くしていた。
「オカちゃん」に海に行こうと誘われたあの日
俊治は「夏休みの宿題があるから」と誘いを断ったその日
「オカちゃん」は一人で海に行ってそのまま帰らぬ人となった。
「オカちゃん」と仲良しだった石川と俊治は30年ぶりの再会を果たす。
30年も音信不通だった二人
子供の頃の思い出話を共有するうちに俊治は石川に
「自分は余命3ヶ月だ」と打ち明ける。
10歳で亡くなったオカちゃん
42歳で余命宣告された俊治
その差はなんなのだろう?
もしも、それが運命なら、やはり運命は変えられないのだろうか?
あの時、オカちゃんが一人で海に行かなければ・・・
もう少し早く、俊治が病院に行っていたら・・・
結果は違ったものになっていたのだろうか?
人生には「もし・・・していたら」が溢れている。
けれども人は、実際に自分や身近な人に何かが起こってみなければ
「もし・・・していたら」を意識しない。
俊治も、もし余命宣告されなければ、オカちゃんのことを思い出すことも
かつて住んでいた町を訪れることもなかったのだろう。
オカちゃんの遺体は見つからなかった。
オカちゃんのお葬式で、俊治は石川から『ひとごろし』と言われて殴られたことも
その後、石川と俊治は仲直りしたことも
しばらくして、亡くなったオカちゃんへ「ゆーじょー(友情)」を見せようと石川が言い出して、オカちゃんがいなくなった海へ、
石川や俊治は同級生たちと一緒に、親には黙って夜の海に行った時に
その夜の海に向かって
オカちゃんの死を受け入れらない心の壊れたオカちゃんのお母さんが、
一生懸命、懐中電灯をかざして、オカちゃんを探し続けていたことも
全て忘れていたのに・・・
余命宣告された俊治にとってはそれら全てが今の自分につながっていたんだと悟るのだ。
たまたまオカちゃんだったんだ
石川や俊治だったかもしれないんだ
そして、オカちゃんが海で溺れたのも
それは誰のせいでもなかったんだ
今の自分が3ヶ月の余命宣告されたことさえも、誰のせいでもないのだから受け入れようと
これから何が起こるかわからないけれど、やれることはやろうと決心して。
生きることは『その日』に向かっていること
たまたま私は60歳まで生きてこれた。
『その日』まで私にどれくらいの時間が残されているのかはわからない。
ただ、今、私が生きているこの時はとてもかけがいのないものだということをこの小説から教えてもらった気がした。
![](https://assets.st-note.com/img/1681697523856-WA80hwBx2u.jpg?width=1200)
少しnoteを離れていましたが、私は元気です。
最近、80代の両親と一緒に時間を過ごすことが増えました。
老いること、生きること、そしてその日を迎えることを考えていた時に
重松清さんの短編集「その日のまえに」に出会いました。
長生きのリスクだとか
人生100年時代だとか言われて久しいですが
それは、まるで長く生きることが罪のような風潮さえ感じていました。
(あくまで私の気持ちです)
そして誰もが長生きするような気持ちになって、老後の不安を煽られている・・・そんな気もします。
そもそも老後が私にあるのかなんてわからない。
私の夫は30歳で50代の母を亡くしています。
63歳の夫は私が老後の心配を口にすると
私に時々言います。
「心配せんでもいいよ、今が老後やから」
夫は、夫の母が亡くなった歳を超えれたことを感謝していると言うのです。
そして、
『もし、お金の心配するほど長生きできたら』それも幸せだと夫は言います。
この小説のように思ってもみない命の終わりを迎えることもあるのだから。
何歳まで生きられるのかなんて当たり前ですが、人それぞれ。
私はその日を迎えるまで、少しでも、心穏やかに、軽やかに
そしてちょっと心を踊らせて
毎日を有難いと思って過ごしたいのです。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
これからはスキやコメントのお返しが少し遅くなるかもしれませんが
それでもスキやコメントをいただけると、とても嬉しいです(笑)
いつも感謝しています。