林霙
クリエイターさんのすてきな記事に魅せられます
ふと 口にしたひとり言や呟きも あるときは詩のことばとなって 浮かんでは 消えていきます 書き留めておきたい そんな愛着があるのです
出会いの必然性は 本にもありそうな気がします知らない町のはじめての書店や 通いなれた本屋さんでその日 その時 その場所で すてきな本に出合える幸せですそんな出会いを書いていきたいと思います
窓をあければ華は空を飛べるように思う癖があった。ずいぶん幼い日の思い出だった。小学生になったばかりの小さな記憶が・・・
たかが寝言 されど?寝言 寝言って意外に本音がでていたり 自分の希望とか願いも 口にしているかもしれません
それでは また と言われたきがした さかのぼる 記憶に みつめてる みつめられていた まぼろし 悲しみ それでは いつか と答えたきがした みにくい 姿の わたし 表情にでていた きずついた こころ あれから かわいた風の やんだころ 悲しみを かなしみとして 語れるようになって ようやくきづいた きみの やさしさ
昨日までの雨は どこかへいってしまった そんな晴れた日に わたしの出会った花が 微笑んでみえたのは 思いちがいだろうか いやなことを忘れてしまうくらい 空がきれいすぎるからだろうか
坂道をのぼっていくと いつのまにか丘の上にいた わたしの目の前に 町が広がっていた 知っていたはずの 町に風が吹いていた 木が葉をおとしている わたしの心の中に 巣くっていた孤独も おとしてしまいたい はらはらと
「あなたの目の前を過ぎていった その日の埃と思い出 白い花瓶の中の葉むら 涙にくもった 壁のアラベスク模様」 (大島辰雄訳 マリー・ローランサン「夜の手帖」より) はかない幻の花をみているような詩の世界は、ローランサンの絵そのもの。 読みながら夢の世界に浸ることのできる詩文集です。 じっさい、夜寝る前に読むと、よく眠ることができました。
雨のしずくに 映っている 世界は ひとつじゃない 町も わたしも 知らないことって まだまだ たくさんある きっと
まっさおな空に 昼の星ひとつ 落ちていった なにかがおわって 空はまっさら なんにもない 空ばかり どこまでも
就職活動で 歩き回った だけの うまくいかない夏 暑いからと 頭も心も さえないからと 言い訳してる うかない顔で 立ち止まった 街角に 咲いていた夏の花 暑くても 陽光を浴びながら 輝いている夏もあるのだなあ 感心していたら 急に花が わたしの方を向いた 風のなかで 花は言った 太陽に背を向けるな 水を飲め 背筋をのばせ すると 不思議なことだ わたしにも 気持ちのよい風が 吹いてきた 気をとりなおして ふたたび わたしは 歩きはじめた
早朝 めがさめると 枕元に 母が立っていた もちろん 足はある 時計は五時を少し回ったところだ 枕元で 母がいう わたし 会社にいかなくていいんだよね 十年以上まえに 亡くなった父の会社のことらしい 心細そうに 母がいう 会社あったっけ ないよ いかなくて いんだよね いかなくていいよ 床をこするような足音が 薄闇の廊下にきえていき やがて 静かになった わたしは 眠れなくなった 夜間せんもう ひとことでいえば それだけど 母は 母の物語に 生きているのかもしれない
「海、私が死にも打ち勝てると思うのは海のためだ。 一刻とはいえ心燃え立つのも海のためだ。 打ち伸ばした銀の波が、 砕けるばかりなのに砕けないのをみるからだ。」 (加藤菊雄訳 セァラ・ティーズデール「美しく気高い海」) 以前、韓流ドラマ「冬のソナタ」で使われた詩の作者ですが、恋愛詩とともに悲しみや美へのあこがれなど、芸術性の高い詩集だと思っています。避けることのできない運命の嵐の中で、一人超然している詩人の姿が浮かぶようで、私の好きな詩篇の一つです。
夏の道 浸みゆく水の 広がる果てを夢み 遠くで枕木を叩きつづけながら ふるさとの列車は小さくなっていった 子どもの頃の記憶の片鱗を 一つひとつ重ね合わせては 誰もいない田圃の轍を 今日も歩いている ふと 誰かに呼びかけられ おもわず振り返ってみても そこにいたはずの人の姿は 影となって風にきえてしまう 草いきれを身に帯びたまま 今では すっかり舗装された道の 裂け目からのぞいた草花に陰る わずかな名残さえも 反射光にかき消されてしまう たちまちに
ぼんやりとした雲が、青空を覆っていた。 華は、翠と長い坂道を登っていた。 潤の住んでいるマンションは、丘の上にあるらしかった。九月の風が、どこか秋の近づくのを感じさせる。 「え、潤と翠さんが、親戚?」 翠が潤のいとこであることを、彼女から伝えられた時、華は驚いた。 さらに、驚いたのは、潤が自分の家族のことで、かなり悩んでいる、と聞かされたことだ。 「潤君のお母さん、病気なんだって。一人で介護しているのよ」 華は、潤の家庭のことは知らなかった。もちろん、マンションにも
湖のうえを 光が滑りはじめる すると 誰かが 小声でささやきだす 幻たち おまえたちは知っているのだろう 残された点し火を 目指した日を 風が描いた波間に ゆらめいていた森影を やがて 櫂の響きが 近づいてくる 不確かな歳月を 乗せながら
「私は流謫の身で、時は重くのしかかる。 光り輝く真昼の美しい太陽もむなしく! 夜になればいつも、再び苦い沈黙にうち沈み、 私は禍いのうちでもこの上なく重いそれを嘆く。不在を。」 (中島淑恵訳 ルネ・ヴィヴィアン「不在」) 詩集全体を通して 恋愛をテーマにした詩が多く見られますが 情熱と甘美さのうちに 詩人の悲しみの深さを感じさせられます 「不在」は特に好きな作品です 詩は 大切ななにかを失ったことへの代償なのでしょうか 頁を開くたびに 言葉が胸に刺さる気がしま
校舎の裏庭は静かだ。たまに園芸部の生徒たちが来て、小さな畑を耕したり、苗を植えたりしているのを見るくらいだ。 華は、潤が来るのを待っていた。 「人の口に戸は立てられぬぞ」 そんなセリフをどこかで聞いた気がする。 潤と翠が二人きりで歩いていたという話は、一日であっという間にクラスメイトたちに広がってしまった。 この際、二人のことなどどうでもいい。 (なんで、わたしまで巻き込まれなければならないの) 華は不愉快だった。いても立っても居られない思いで、昼休みに潤を呼び出
神社にお参りに行くと 境内は清々として気持ちの良いものです 大きな木が何本もあったりして 風に鳴る枝葉の音も軽やかです 鳥や虫の音も涼やかにきこえてきます 街に家やビルが増えても 神社の緑は 昔から変わらないのでしょう 何百年も前から 豊かで美しい緑は 訪れる人や 地域の人を癒してきたことでしょう 鎮守の森 まさに そのとおりだと思います
中国の切り絵「剪紙」は 祖母の家の玄関に飾ってあったのを見たのが最初でした 祖母は 剪紙を習っていたらしく 部屋にたくさん飾られていましたが 玄関のは 特に縁起のよいものらしく 大きな額に飾られた「福」のデザインでした。 祖母自身も 福顔の笑顔がすてきな人でした 「剪紙」をながめるたび 祖母のことを思い出します