弟という生き物
ココオル代表(丸田勝也)の中学校の同級生「ゆきわ」です。学校関係者で、現在は子育てしながら短時間勤務をしています。
丸田くんは「僕は男女差別が激しい、男女平等である必要はない」と言います。
「女性や子どもを優先するのは当たり前、食べ物が一つしかなければ、僕は別にいらない。 女性や子どもにあげるのが普通の感覚だと思う。僕は全く平等に扱われたいと思わない」とのこと。
平等だったらまだいいのですが、いまだ根強く残る男尊女卑の現実など、この社会で女性として存在することは生やさしいものではありません。だから女性を大切にと考えている丸田くんのような人は貴重だと思うのです。
今回はタイトル通り、私の弟の話なのですが、女性が抱える受難を交えてお話しさせていただきます。
オバチャン
あるとき、学生だった弟がアルバイトから帰ってきてイライラしていました。
そして、「バイト先のオバチャン上司がうっとおしい、言い方がしつこい」と愚痴を吐いていました。
私が「おまい、(オバチャンじゃなくて)ちょっと年上のキレイな女の人やったら、厳しくされたら嬉しいんちゃうんけ」と言うと、弟は「それは思いつかなかった」とのことで、「そうか、なるほど。オレにも“自分の都合”というものがあったのか」と妙に納得し、イライラはどこへやら。
私は最後に「なんで私がおまいの大脳辺縁系まで読まなあかんのや」と言ったものです。
そんな弟も今や理科教師。中学生相手に奮闘する日々です。
先輩教員からの扱いに悩むことも多々あったようですが(あながち理不尽とも言い切れず、弟にも原因があるので、厳しく言う人も必要だと思うのです)、生徒・保護者・後輩教員とはおおむね良好な関係を築けているようです。心がけているのは「相手の話を聴くこと」だそうです。
私もあっという間にオバチャンになって、更年期障害とかそういう課題も出てくるのかもしれませんが、相手の立場に立つこと、相手を尊重すること、言い方に気をつけることなど、心がけたいと思ったのでした。
女医さんと保育士さん
またあるとき、弟が「ジョイイイッ!」と叫んでいて、「これは“女医イイ”ってことやで」と言っていましたが、わざわざ説明してくれなくてもわかるのです。
私を誰だと思っている。おまいの姉なのだ。
おおかた、不摂生(それゆえの不調)や無謀な行動(それゆえのケガ)を厳しく叱ってもらい、然るべき処置を受けて、自業自得の痛みを増幅させることに悦びを見い出すのでしょう。そこまでお見通しなのです。
医師は男性よりも女性のほうが多いという国もありますが、この国は、大学入試の不正で女子が合格しにくく操作されていたことがニュースになったこともあります。
女性は医師として育てても…
社会全体がそうなのですが、女性は結婚すると仕事をやめて家庭に入ることもある、男性に比べると育児などでキャリアを継続するのが困難、そういう事情なのでしょうか。
なにかと女性に厳しい現実。
私が特に気になっているのが、ほとんどが女性である、保育士さんの待遇です。
息子が保育園児だった頃、担任が私と同じ歳で、どんなことでも気さくに話しました。
その担任の保育士さんがスター・ウォーズのTシャツを着ていたので「お好きなんですか?」と尋ねると
「母がユ○クロで買ってくるんですよ、安いから。ユ○クロないと生活できませんわー(笑)」
と明るくおっしゃっていて、頭が下がる思いです。
私は20代の頃、高校に勤めていた時期があります。
家が貧しくてなかなか受診できない生徒がいて、でも保育士になりたいからピアノは習わせてもらっていると言います。
彼女のけなげさに、今も胸を打たれる思いです。
せめて健康で楽しく働いてほしいと、願わずにはいられないのでした。
結婚披露宴の裏側で
私も学生だったある冬の日、私がしていた配膳(結婚披露宴やパーティーで飲食物の給仕などをする)のバイトであまりにも人が足りなかったので、未経験の弟を連れて行ったことがあります。
行き道で駅から駅への歩く途中、ラブホ街を通過しました。
私が何気なく「こういうとこって、年末年始もやってるんかな?」と言うと、弟は
「当たり前やん! 生き物であることは年中無休や」と。
弟は「自然界ではだいたい、オスのほうがキレイや。人間のオスも、あの手この手でメスの気を惹くんや」とも言っていました。
思春期の男子がモテたくていろんなことができるようになるのは健全なことでしょう。
弟は生き物の摂理をよくわかっていそうです。
さて、配膳のバイトの話に戻りますが、結婚披露宴では「ファースト・バイト」というものがありました。事前のミーティングで「ファースト・バイトあり」と聞いて、「初めてバイトに入る新人さんがいる」という意味だと思ったものです。
違うんですね。新郎新婦2人の最初の共同作業として行ったケーキカットのケーキを、2人で食べさせあいっこするんです。
司会者は決まって、この風習の意味を説明します。
新郎から新婦へは「僕がしっかり働いて食べさせるからね」、新婦から新郎へは「美味しい料理をつくるからね」と。ものすごくジェンダー(社会的性差)の世界なのです。新婦が教員でも例外ではありません。
まぁいっか。私はジェンダーフリーを推し進めたいですが、男女それぞれで特性や傾向があるのも事実です。
男性のほうが色覚特性のある人の割合が高く、肉の焼け具合がわからないことが多いかもしれない。夫に特性があり、妻には特性がない場合、肉を焼くのは妻に任せたらいいのです。
男性より女性のほうが皮膚の乳酸菌が多いので、美味しいぬか漬けを作ることができる。だから、ぬか床をかき混ぜるのは、妻に任せたらいいのです。
現実は、ジェンダー分業によって、大変な家事・育児を妻が一人で担い、かかってはいけないレベルの負荷が妻にかかった結果、手荒れなどがひどくてぬか漬けどころではないというのは残念なことですが。
仕事中、ふと弟に目をやると、とても緊張していました。無理もありません。初めてな上に、失敗が許されない世界です。「研修中」なんて札は付けません。全員がサービスのプロという顔で仕事に臨みます。
配膳のバイトで最も過酷だったのが、「ドンデン」といって、結婚披露宴が2件続く場合に1件目の全てを片付けて2件目の準備をするときでした。普通に罵声が飛びます。
人は足りない、時間制限はある、仕事に真剣、とにかく最善を尽くす必要がある。そんな中、テーブルクロスから何から何までピカピカに一新します。
私たちは配膳業者に所属していて、あちこちの現場に派遣されて働きました。だいたい人が足りていなくて、それは大変なのですが、人が足りている配膳業者なんて潰れるのだそうです。
そんな、社会のニッチの中で、華やかな世界の裏側で、怒ったりして嫌われ役になる上司の下で、私たちは頑張りました。
「あのホテルは直バイ(ホテルが直接雇っているバイトさん)が怖い」なんて思ったのも、今ではいい思い出です。
なんだかカオスな文章になってしまいました。
多くの男性が「僕、料理をするよ。家事・育児ももちろんするよ」とあの手この手で女性のハートをつかんで(もちろん、口先だけじゃいけませんよ)、是非、ウエディング・ベルを鳴らしてほしいものです。