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「きっと、疲れてるんだよ」――平家物語・兼平の“矛盾した発言”に学ぶ、「言葉を変える」勇気とは。【現役ライターの古典授業02】

「平家物語」は、誰しも一度はやったことがある、超・超有名な題材かと思います。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂には滅びぬ、偏へに風の前の塵に同じ。  ――平家物語『第一巻』より

そんな語りから始まる平家物語。
中学校では、この冒頭部分に触れたり、弓矢の名手・那須与一の逸話を読んだりします。
高校になると、上記の続きを習ったり、木曾義仲が出てくる「木曾の最期」を学んだりします。

ですが大概、この平家物語で学ぶことといえば

祇園精舎の鐘の声~のあたりを暗記する
リズム感がいい、対句が多い、といった描写方法を習う
・「平清盛および平家没落」から、無常観盛者必衰の理(ことわり)を知る

という感じではないかなぁと。

ふーん、平家物語って、読むのはいいっぽいけど、内容的にムナシイ感じで、仏教的になんか難しいこと言ってるやつ……

――いや! いやいや!

違うのです、平家物語の魅力は、そんなところだけに止まらないのです!
山ほど出てくる武将たちと、そのやり取りの中には、人間関係において学ぶべき場面が山ほどあるんです!

その一部を、高校古典ではおなじみの「木曾の最期」から掘り下げてみたいと思います。

(例によって、以下の授業形式は虚構を交えつつの関西弁でお送りいたします)

◇本日の授業:平家物語「木曾の最期」後半
「今井四郎、木曾殿、主従二騎になって~ より」

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さて。

これまで何千騎と率いていた木曾義仲は、ついに今井四郎兼平と、たった2騎になったわけやね。読んでみよか。

今井四郎、木曾殿、主従二騎になつてのたまひけるは
「日ごろは何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなつたるぞや。」
今井四郎申しけるは、
「御身もいまだ疲れさせたまはず。御馬も弱り候はず。何によつてか一領の御着背長を重うは思し召し候ふべき」 ――平家物語『木曾の最期』より

前回も言ってたけど、今井四郎兼平は、木曾義仲の「乳母子」ってやつで、小さい頃からずーーーっと一緒の幼なじみやったんやね。
そんで、生まれたときから義仲は主人で、兼平は従者。

死ぬときは一緒だ」って、そう教えられて育ったし、2人で固く誓い合ってここまできたわけ。

ここで、たった2人になったところで義仲は「鎧が重くなった」とか言ってるけど、これって、どういうことやろ?分かる?

生徒「――鎧が重くなるほど、疲れた、って言ってる」

おー!そうそう。いいね、よく分かってる。

文字通りやと「1キロの鎧がなぜか5キロに感じられる」みたいな、重力ゆがんだアホな話になるけど、当然、そうやないねんな。

鎧が重く感じられるほど“疲れた”」、いいね、まさにその通り。

「消しゴムないんだけど」の裏には「貸してほしい」があって、「この部屋寒いよね」には「エアコンつけてほしい」とか「窓閉めてほしい」とかいう言葉の先に暗に込められた気持ちがある。それを理解するには、相手の気持ちを察する力がないとあかん。

けどまぁ、察するって結構高度な能力やから、ほんまに相手にわかって欲しいんやったら、単刀直入に言うのがいいんやけど。ここは義仲も、わかってほしかったというよりは、ついポロッと言っちゃった、みたいなところがあると思う。

この言葉から分かることでいうと、疲労感、弱気・弱音、もっと言うと本音あたりになるかと思うけど、ここでまず考えてほしい。

この言葉、相手が兼平以外の武将やったら言ったかどうか
これ、どう思う?

生徒「――言わないと思う」

おお。どして?

生徒「――兼平は、よく知ってる仲だし……言っても大丈夫かな、みたいな」

大丈夫かなみたいな、ね。笑 うん、いいよいいよ。ありがとう。
そうやね。きっと、そうやと思う。

この言葉、兼平以外だったら言わなかった。兼平だから言ったんやろうね。
それは、乳母子として、共に討ち死することまで誓った仲やし、ある意味兼平への甘えでもあるんや。
本来は、大将はそんな弱気なこと言ったらいかんのや。士気に関わるからな。

会社で言うと、社長が「この会社つぶれるわ」って、部下に言ったらヤバイのと似てるかもしれん。でも、部長とか、右腕左腕の部下には言うかもしれん。そうやって、絶対的に信頼してる相手に現実や本音を共有することで、ピンチを乗り越えるのもひとつの手やと思うから。
部活でも、同級生や先輩に弱音はいても、後輩に弱音はいたりせえへんやろ? する? ま、仲良かったらするかもしれんけど笑 いい関係やね。

いずれにしても、本音っちゅうのは、心を許した相手やから言えるんやな。

そしたら、兼平は何て言ったか。

『何を言うねん。お前、疲れてへんよ』

そんで「あの松原に入って自害しいや。俺が時間稼ぎするさかい」って言う。

けどな。その先どうするかっていうと、義仲は「自害せえへん、兼平と一緒に戦うんや」って言うわけ。

そしたら兼平、はぁあ!?ってなる。
ちょっ、おまっ、全然言うこと聞いてへんやん!って。

自害してくれ、つまらん兵にやられたら武士の恥だから、って言ってんのに、この期に及んで小さい頃からの約束の方を大事に思ってる。
それはそれで義仲の魅力でもあるんやけど、兼平は「それじゃあかん!」と思うわけ。

兼平の中では、二人だけの約束なんかより、武士としての主君の名誉や末代までに残る汚名を防ぐ方がもっともっと大事やと思ってたんや。
「したいこと」と「すべきこと」は別やからな。優先順位を間違えたらあかんねん。

そしたら兼平、なんて言ったか。

今井四郎、馬より飛び降り、主の馬の口に取りついて申しけるは、
「弓矢取りは、年ごろ日ごろいかなる高名候へども、最後の時不覚しつれば、長き疵にて候ふなり。御身は疲れさせたまひて候ふ。(中略)ただあの松原へ入らせたまへ」

すごいよなー。「馬の口に取り付いた」んやて。必死やね。
そんで言ってるな。『お前、疲れてるで』って。

気づいたと思うけど、これ、さっきと完全に矛盾した発言やねん。
ついさっき「疲れてへんよ」って言ったんに、180度違うこと言うてる。

なんでや? これ、なんでなんやろ。

生徒「ーー義仲が言うこと聞いてくれなかったから」

ほうほう。せやな。もうちょっと詳しく言うて。

生徒「ーー義仲に自害してほしかったのに、戦うとかいうから、もう一回説得したくて、言い方変えた」

おっ!いいね。ありがとう。
説得の仕方を変えた」。そうやな。

言葉だけとると完全な矛盾や。でも、それはあくまで枝葉の見え方であって、兼平の真意は同じなんや。

真意。つまり、義仲の名誉を第一に考えたいってこと。

弱音を吐いた義仲に、兼平はこう考えたわけやな。

【作戦1】『お前は疲れてない!』と叱咤激励して自害作戦
 ↓
義仲自害せず、討ち死する気まんまん=作戦失敗
 ↓
【作戦2】『せやな、疲れてるな』と共感して自害作戦

目的は一緒や。名誉の自害。
この「相手の性格や反応をふまえて、真に響く適切な言葉かけ」をしたんや。

そしたら義仲は、なんて言ったか。

と申しければ、木曾、
「さらば。」
とて、粟津の松原へぞ駆けたまふ。

そう。「さらば」って言ったんや。
これ、「さよなら」やないで。「作用ならば=そうであるならば」って意味やから注意してや。

つまり、今度は兼平の説得を受け入れて、自害することを受け入れて駆けていった。
見事、作戦成功したわけやな。

ただ、知っての通り、物語はこれで終わらんのや。
自害するときに、義仲は馬ごと深田にはまり込んで、振り向いたところを「ひょうふっと」射られてしまうんやけど……。

そういう、完全に上手くいくわけやないあたりも、すごーく、人間らしいなぁと先生は思う。
「これなら上手くいく!」って思っても、人の気持ちも、周りの状況も、いくらでも変わる。不確定要素だらけなんや。
そう考えると、世の中「失敗するのが当たり前」で、ある意味、本当に上手くいくことなんか奇跡みたいなもんやと思う。
やから、友達関係にしても、受験にしても、仕事するにしても、「何事もなく進んでる」状況はいつだって奇跡やと思うよ。

兼平は、義仲のことをよく分かってて、「こいつには、頑張れって言い続けるより『疲れてるから』って言わなあかん」って分かったんやな。

先生は好きやで、頑張れ!って言葉。
でも、それがつらい人もいるよなぁ。
もっと言うと、先生だって、頑張れ!がつらいときもあると思う。

一人の人間でも、そのときそのときで、響く言葉が正反対やったりする。
「この人は、いつもこうやから」やない。
目の前の相手を、見なあかん。
だって言葉はいつだって、目の前のひとのためにあるんやから。


(キーンコーンカーンコーン)

よし、今日の授業はここまで。
続き、予習しといてや笑

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