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【カルチャー】読書というのは血の匂いがするべきものである。

本の読み方が変わってきたなという話。

あなたにとって読書とは?


別に今まで誰かに聞かれた訳でもないし、今後誰かに聞かれることも多分ないんだろうけど、「あなたにとって読書とは何か?」と言う質問をされたらどのように答えるか、たまに考える。

以前だったら「息抜き」となんとも牧歌的な返答をしていたと思うけど、最近では「社会への解像度を上げるため」となんともお堅い返答をすると思う。

オシャレなカフェをバックに、オシャレな装丁の本を、オシャレな色調の写真で、SNSにアップするような気概なんて私は持っていない。


純粋さは賞味期限付き。


解像度を上げていくとは、自分が生きている社会はどのような成り立ちをしているのか、またそこに至るまでにどのような歴史があったのか、今後社会はどのように変わっていくのか、その中で自分に何ができるのかを考えていくということである。

それを社会人・大人としての自覚と言ってしまえば聞こえはいいのだろうけど、自分の人間性がそれだけ擦れてしまった証拠のようにも思えてくる。

とは言え、屈託なく読んだ本について語るいわゆる"読書系インフルエンサー"を見ていると、「その純粋さを保てるのもいつまでなんだろう」という老婆心さえ抱いてしまう。


読書という荒野


幻冬舎社長の見城徹氏の著書「読書という荒野」の単行本の帯に、作詞家の秋元康氏はこのように記している。

「見城徹の読書は血の匂いがする。ただ、文字を追って『読了』と悦に入っている輩など、足下にも及ばない。書を貪り喰ったものだけが知る恍惚の表情を浮かべている。著者の内臓を喰らい、口から真っ赤な血を滴らせている」

読書という荒野/見城徹 より

読書というのは血の匂いがするべきものであると言うのも、やはり老婆心であろうか。

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