ネオ高等遊民『一度読んだら絶対に忘れない哲学の教科書 』読んだ
通称ネオ哲学史、やっと読み終わった。
発売日前にフライングゲットしたのにずいぶんと時間がかかってしまったのは、ポップな装丁、キャッチーな見出しに反して、骨太な内容だったからである。
著者のネオ高等遊民氏は日本初の哲学系Youtuberであり、その名の通りタイで高等遊民をしているという非常に羨ましいお方である。
氏は読書サークルも主宰されており、私も混ぜていただいております。
本書がよくある哲学史の入門書と異なるのは、古代、中世、近代、現代から平等に15人、計60人の哲学者(哲学者とはいいがたい人物もいるが)を選んでいることだ。
高校の倫理の教科書とか、普通の入門書は古代ギリシャはそこそこ真面目にやるのに、中世はアウグスティヌスとトマス・アクィナスだけで、いきなりデカルトに飛んだりする。またルネサンスも芸術方面はそこそこ真面目にやるのに、哲学は無視されたりする。
ところが本書は中世も平等に15人である。15人も選べるのになんでアヴィセンナ(イブン・スイ-ナ-)が入っていないのかという疑問もあるが、それは中世を語るうえでどうしても欠かせないキリスト教の最重要人物を選んでいるからだ。
それはイエスとパウロである。ワロタ。でもよく考えたらアウグスティヌスを選んでおいて、この二人を選ばないのはどうかしてるよね。
本書の古代中世のテーマは、ギリシャ対キリスト教(ヘブライズム)である。そうすると当然にしてキリスト教を分厚く扱わなくてはならない。こういう視点がないと、なぜ新プラトン主義が大事なのかもわからないと思う。
古代ギリシャ哲学における二大潮流は言うまでもなく、アリストテレスVSプラトンである。プラトンの思想は新プラトン主義とアウグスティヌスを通じて中世キリスト教業界に伝わった。アリストテレスの流れは西欧ではいったん途切れたが、中世にイスラム世界から逆輸入され、そこでプラトンと再び相まみえることになったのだ。
こういうシンプルな二項対立に落とし込むのはある意味危険でもあるのだが、最初の理解としては悪くない。というか、いったんわかったことにしないと前に進めないのである。
本書は二項対立に仕立てることで流れをわかりやすくするだけでなく、個々の哲学者について、紙幅の許す限り細かく語っている。だから読むのに時間がかかった。
あらゆる入門書、解説書において、わかりやすさと正確さはトレードオフである。わかりやすさに振りすぎると、ただ表面をなでているだけになってしまう。本書ではそこにゴリっとした手触りがある。
以下要点だけさらっと触れておきます。
古代
古代というかほぼギリシャである。
先頭打者は定番のタレスなのだけど、これがいきなり面白い。
普通の入門書では、万物の根源は水だと言ったとしか書いてなくて、ああそうなのかと流してしまう。
タレスはイオニアの自然哲学者として括られるのだけど、この時代は神話から合理的な説明へと転換しつつある時代といわれる。
本書はそこでちょっと待てというのである。万物の根源が水ってそんな合理的な説明かと。いわれてみたらたしかにそうだ。
そもそも万物の根源は水だといった人がなんで最初の哲学者なのかもよくわからないのだが、、、
それを理解するには、哲学、つまり知を愛するとはいかなる事態であるか、ということから考えなくてはならない。
次に登場するがピュタゴラスで、自然を相手にしたタレスらとは別系統である。前者がプラトン、後者がアリストテレスにつながると二項対立で理解しておけば、とりあえずはOK。
本書はそこからもう少し突っ込んだ説明をしているのがよい。そういうところをじっくり読んでいたので読み終えるのにすごく時間がかかってしまった。(そして読み終えたときには忘れるので今また読み直している)
次がヘラクレイトス。「自然」の側からピュタゴラスを批判した。
4人目は最強の哲学者パルメニデス、デモクリトス、ソクラテス、、、と続いていくのであった。
あとはストアのゼノン、ピュロン、キケロなどヘレニズム期の哲学者もしっかり紹介されている。
古代のしめくくりはプロティノスで、古代ギリシャ形而上学の流れの終着点と紹介されている。プロティノスとヘブライズムの交わりから、中世哲学が始まるわけで、ラストバッターに相応しいと思われた。
中世
プロティノスに続くのはアレキサンドリアのフィロンである。フィロンについては名前しか知らなかったが、本書の解説はわかりやすく、古代と中世の連結がよく理解できた。
プロティノスやフィロンとは時代が前後するが、ここでイエスとパウロが登場する。ヘブライズムの中でも、ユダヤ教とキリスト教がどう違うのかを知っておくことは哲学や歴史を理解するうえで重要なので、妥当な人選と思われる。
そしてフィロンの系統としてオリゲネスが紹介されてようやっとアウグスティヌスだ。通常の哲学史だとアリストテレスの次にいきなり登場しがちだが、やっぱりプロティノス、フィロン、オリゲネスくらいは挟まないとよくわからんと思われる。
アウグスティヌス以降は全部おもしろい。アンセルムスの神の存在証明がなぜすごいことだったか、イブン・ルシュド(アヴェロエス)の知性単一性論の異端性、トマスとスコトゥスの個体論の差異、オッカムにすでに自由意志論の萌芽がみられること、などなど。
スコラ学以外でもエックハルト、ブルーノ、ペトラルカが取り上げられており、網羅性も十分と思われる。
近代と現代
という感じで中世まで来て、あとはデカルト、スピノザ、ライプニッツあたりの説明も面白く読めた。
さらにドイツ観念論などがあって、現代につながっていく。そのような見取り図が得られる内容となっている。
締めくくりはレヴィナスであり、ユダヤ人である彼がパルメニデスと対決したのは知らなかった。そういう意味では最後に相応しい人選であると思われた。
個人的には、近寄りがたかったフィヒテとシェリングにちょっとお近づきになれたのがよかった。またウィトゲンシュタインとかクワインとか、言語哲学の理解が少し進んだ。
それによって、いま読んでいる、ハート『法の概念』、東浩紀『訂正可能性の哲学』、中山竜一ほか『法思想史』などが読みやすくなったようの思う。
まとめ
全体としては寝転がって読めるように書かれているし、じっくり読むこともできる。簡潔に書かれた事柄がなにを意味しているか、具体的、抽象的に考えるとスイスイとは読めない。
まあどのように読んでもいい。興味を持てる箇所はゆっくり読めばいいし、そうでないところはサラッと読めばいいだろう。
そして読書案内もちゃんとついている。
紙幅の関係で削らないといけない書籍もあったらしくて、それらはこちらにまとめてある。
納富大先生の『ギリシャ哲学史』が端折られてるのは、、、
ここであげられている書籍、特に古代と中世はけっこう読んでた。まあ著者が動画でおすすめしているのをまあまあ読んでいるからだが。