子どもたちの増える選択肢
子ども、学校関連の悲しいニュースを聞くのは辛い。子どもたちの心と体、命が安心安全でいられない状況を見て見ぬふりをする大人やそうさせてしまう組織、その隠蔽体質は本当に腐った問題である。
一方で本当に子どもたちの事を想って行動してくれている、多くの先生方やフリースクールを開業された方たちもいる。想いがあって、塾や各種のスクールを開業されている方、そんな方たちがいるのはすごくありがたいし心強い。
私は子ども達と関わる仕事をしていて、自分は一般的な既存の組織にいるとできない事が多いなと感じた。(もちろんその中で改革をしていく、自分らしいあり方を発揮していく人もいるし、私もその経験があるからこそ考えた事、できる事がたくさんあると思っている)
習いごとやサードプレイス的な場などで複数の大人との関わりがあれば、子どもたちがものすごく苦しんでいる状況を見逃してしまう確率は少なくなるのではないかと思う。または、その場にいる時間が楽しければ、思い詰めるような事も減るかもしれない。
私は2ヶ所のフリースクールでボランティアをさせてもらっていたけど、1箇所はすごくゆるい感じの所だった。もう一ヶ所は、結構何かとアクティブな感じで、学校に行かないなら仕事すればいい、という考えで面接の付き添いに行った事もある。(一定の年齢以上)
あとは、スクールとは関係ない場でも子どもたちと関わるボランティアをしていた。子どもをビジネスの種にするのは嫌だけど、必ずしもボランティアがいいというわけではなく(自分の先生からもボランティアはやめなさいと言われてからも2年くらいはやっていた)ただ色々な場で様々なタイプの子どもたちと関わりたかった。
どこが一番いいとか、どのやり方だけが優れているとかでは無くて、子どもたちの選択肢が増えたり、多様な在り方がもっと理解されるといい。
合う場も合わない場も、だんだんそれが変化していく事もあるだろうけど、それでいい。
私は、自分が学生の時、そんな場所を知っていたらフリースクールに行きたかった。(親が賛成してくれたかは分からないけど)知ったのは高校を卒業してからで、その時から関わり始めた。
自分は学校を休みがちな時もあったけど出席日数はあったし、「あなたは行ってたんでしょう、行けたんでしょう」と言われるけど、ただ家にいる選択肢も他の所に行く選択肢も無かった、知らなかった。だから、本当に学校に行けないという子に対して、話も聞かずにただ行くべき、なんて事は言えない。
子どもさんが学校に行っていない親御さんや、学校で子どもさんの特性を理解されないという保護者の方たちの集まりに行った時、一般的な学童や学校で会う大人たちよりずっとオープンで風が通っている感じがした。
学校の先生にもいろんな人がもちろんいるだろうけど、先生が理解してくれないからという理由で、子どもたちのために親のグループを立ち上げたというパワフルで素敵な方たちがいた。
こうあるべき、という枠から抜けた人たちはそれぞれの新しい道を作っていくのではないだろうか。
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