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偶然と必然、偶然と運命 ① ヤナーチェクの音楽の運命

はじめに

読書や映画鑑賞をしていると、心に残る作品の特徴として、偶然と必然あるいは運命、そしてそれらにまつわる記憶や忘却がテーマに流れていることが多いように思える。

また、意識することなく使ったり感じたりする、意味を持つ言葉のもつ機能的なイメージ──すなわち概念と言うかもしれない──のいくつかに(偶然と必然)、(偶然と運命)がやはりある。

偶然とはなんなのか、必然、運命とはなんなのか?
それらの関係性はどうなっているのか、
少し考えてみたい。

僕の偶然もしくは偶発性の定義
ここでは、事象、物事の有り様そのものの存在する確率を偶然とする。
事象に対しては、偶然ではなく、偶発とした方が正しい表現かもしれない。

あらゆる物事の起こり得る確率(─エントロピーの世界─偶然の点の集合体を想像して欲しい)にはいくつか性質がある。

僕の言うエントロピーの世界とは熱力学的なものだが、平易に表現し直すと、ある均衡状態から均衡でない状態に変化させる何らかの力と、変化した状態量あるいは物理量の世界、熱エネルギーのエントロピー増減 (dS=δQ/T)そのものをイメージしている。とりあえずエネルギーが発生してそれが何かに転換されたり、動力源として欲望や生命活動そのものがあったりする、そうした空間。
砂浜に波が押し寄せてくると砂の粒それぞれがバラけたり、固まったりしながらもまた何らかのカタチを粒がおりなして、砂浜の状態がダイナミックにかつ静かに変化していく。そうしたイメージに置き換えて見てほしい。

各々の事象の瞬間瞬間を点と捉えてみる。点と点の因果関係が複雑に絡み合う偶発性もあれば、因果関係が全くないものもある。いずれも、連帯感や親しみ、何かしらの感情や事象を共有するひとまとまりの偶然を必然と捉えるならば、必然は運命とも呼べる。

それらは当事者がコントロールし得るものもあれば広がる波紋の干渉の強度次第ではどうしようもないものもある。

切り開ける運命もあれば受け入れて抗ったり孤独に向き合わざるを得なかったり、さまざまな性質を持つ。

無意味、記憶、忘却なども「偶然と必然」につきまとう。
例えば、『失われた時を求めて』でマドレーヌを出される偶然に対して、忘却されたかのような一見すると無意味な─つまり純粋な─記憶が心の深淵から息を吹き返すのは、必然あるいは運命とも呼べるのではないか?

無意味なのはマドレーヌなのか、それとも無意識的記憶か?曖昧なまま、僕がコンブレーの中にいるならニヤける。つまり、笑いがこぼれる。無意味さとは、笑いにつながる。なぜならば、笑いは無意味と滑稽なものでもあり、笑いこそが哲学の深淵、空無にある、と考えるからだ。

このようにして、僕は、偶然と必然≒運命に、時々想いを馳せる。何度かに分けてとりとめもなくそのことについて書いてみることにする。

ヤナーチェクの音楽の運命

第一回目は、ヤナーチェクの音楽の運命について。

レオシュ・ヤナーチェ
1854年7月3日-1928年8月12日
モラヴィア(現在のチェコ)出身作曲家

2022年、チェコから遠く離れた東の島。雨の降る六月の朝、ヤナーチェクのピアノ曲『霧の中で』を聴きながらとりとめのないことを考えながらこれを書いている。僕の好きなチェコ出身の作家ミラン・クンデラはヤナーチェクの音楽に恐らく子どもの頃から親しんできたのであろう。クンデラの父ルドヴィークはチェコで著名なピアニストであり、ヤナーチェクに師事し、後にヤナーチェク音楽院院長を務めた。ヤナーチェクと同じブルノ出身でもある。

今でこそ、ヤナーチェクは世界的に有名な20世紀初頭の作曲家であるが、彼の音楽が評価されるまでにはかなりの長い歳月がかかった。

ヤナーチェクはチェコの東側、モラヴィア生まれである。ヤナーチェクと交流のあったドヴォルザークは西側、ボヘミア生まれであり、東西でかなり文化なども異なる。

両者ともに、チェコの高名な音楽家であろう。ボヘミアの民謡は長調、モラヴィアは短調の調べが多いということもあり、ヤナーチェクの調べはどこか憂いをたたえてもいる。

民族学者でもあったヤナーチェクは「民俗音楽と芸術音楽は一つの管で繋がっているようなものである」と考え、モラヴィアの民族音楽の根底に流れていたものを自身の音楽に溶け込ませている。現代の今、聴いても、現代音楽といった感じで形容しがたいほどに古さを感じさせない。

前述のドヴォルザークの音楽ともまた違うし、同時代の無調音楽で有名なシェーンベルクとも当然ながら全く違う。ロマンティックで掴みどころがない。どこかしらモラヴィアらしいというのだろうか、哀しさがつきまとう。また、彼は作曲家としては祖国で初めは理解されず冷遇された評価であった。

ヤナーチェク生誕150年にあたる2004年、『にわかに信じがたい運命』と題しミラン・クンデラとトマーシュ・セドラーチェクが対談をしている。ヤナーチェクを世に推したのは、チェコの人びとではなく、カフカを世界に知らしめた、マックス・ブロートであった。クンデラは芸術評論『裏切られた遺言』の中でマックス・ブロートのカフカやヤナーチェクの作品紹介や解釈の際の芸術観を批判しているが、本対談では、チェコの中で正当な理解や評価を得られなかったヤナーチェクを世界に紹介したブロートの功績を一定以上に評価してもいる。

また、クンデラはフランスでのヤナーチェクの紹介(『ラルース』)に対し、それを取り上げながら憤慨もしている。

1881年から1919年までオルガン学校の長を務める。民謡の組織的収集に従事し、民謡の精髄から彼の全作品と政治思想とが育まれてゆく(しばらくの間、この文を真に受けてみて下さい。全作品だけではなく、政治思想までもが民謡から生まれてきたと言うのです! こんな馬鹿者のことなどご想像できますか?)
中略
シェーンベルクの音楽は大変な難物です。にもかかわらず、孤立することは決してなかったのです。それに対して、現代のあらゆる音楽とは違って、ヤナーチェクの音楽は長きにわたって孤立していたばかりか、完全なる孤独をも強いられていたのです。他ならぬこれこそが、ヤナーチェクの音楽の運命へ消し難い烙印を押したものだったのです。『ラルース』のあの馬鹿げた記述もまた、ここに由来しています。
—アステイオン 86
公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会著


日本の文化が誤解されて海外で紹介される例とどことなく似ている。そして、遅咲きのヤナーチェクの音楽の運命について、こう語る。

クンデラ 談
ヤナーチェクの全生涯そのものに、どこかにわかに信じ難いものがあります。作曲家の典型的な生涯とはまったく異った風に見えます。小説家の典型的な生涯と比べてみましょう。  自身にとって最初の価値ある小説となる『ボヴァリー夫人』を脱稿しつつある頃のフローベールは、すでに三六になっています。ヘルマン・ブロッホが最初の大河小説を書くのは、四十を過ぎてからのことです。これよりも若い年代で傑作を書くことなど、小説家の場合だと起こり得ません。と言うのも、小説家が書くのは自分自身についてではなく、世界や人物についてだからです。こうしたことを行うのに必要となってくるのは、外界との接触です。そして、これを行うには、ある一定の年月が必要となってきます。 
ですが、アルテュール・ランボーが詩を書いているのは、二十歳になるにはまだほど遠い頃のことですし、のちには詩を書くのをやめてしまいます。この意味においては、作曲家は小説家よりもむしろ抒情詩人に似ています。モーツァルトが天才的な音楽を書くのは、まだ子供の頃のことです。大作曲家が自力で自身のことや自身の個性などを見出すのは、比較的早い時期のことです。この点からすると、ヤナーチェクの成長ぶりは例外的なものですし、セドラーチェクさんの言葉を借りるとすれば、にわかに信じ難いまでにゆっくりとしたものです。 ヤナーチェクは、実に長い期間にわたって因襲的な音楽を書き続けます
—アステイオン 86
公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会著


ヤナーチェクの音楽の運命は、どことなく、プラハの春前後で著書を発禁処分され、正当な評価を母国でされるまで長い期間が有されたクンデラの小説の運命と重なってくる。

1967年に発表した共産党体制下の閉塞した生活を描いた長編小説『冗談』でチェコスロバキアを代表する作家となり、当時進行していた非スターリン化の中で言論・表現の自由を求めるなど、政治にも積極的にかかわるようになった。そして1968年の「プラハの春」では、改革への支持を表明したことによって、ワルシャワ条約機構軍による軍事介入の後、次第に創作活動の場を失い、著作は発禁処分となった。
wikipediaより引用

クンデラの功績のひとつにヤナーチェクを現代小説の中で紹介していることもあげてよいのではないだろうか。

遅咲きの美しい旋律。
確かに、美しい旋律が所々にある。
しかし、不協和音の持つ不穏さが偶発性を際立たせているようにも僕は思えて、それによって、断章的にも感じる。その断章と断章の間に、因果性があると、音と音の密度がやたらと高くなり、緊張を強いられる。
そのせいで、現代的な何かを感じさせてもくる。
ミクロ的に、ヤナーチェクの音楽の特徴を見ていくと、それはヤナーチェクの音楽の運命にも繋がっていくように思う。
土埃の中でのどんよりとした空がスコアシートだとして、そこに降る音の雨粒たちは長い孤独の末に、シニカルになってしまったような、そんな印象を僕は持つのだ。
音の雨粒たちの運命は地面に落ち、当て所もなく一箇所の小さな泥の水溜まりで堰き止められてしまったかのようにもみえたが、年月とともに、土に染み込み、さまざまな無意識的記憶を呼び覚ますトリガーとなって、今も人びとの心に何かを残していく。
つまり、彼の書いたスコアが生きている。

クンデラの言葉を借りれば、「長い間孤独を強いられた」ヤナーチェクの音楽の運命。

ヤナーチェクの肉体が朽ちた今でもこうして彼の音楽=魂を聴くことで、彼の音楽の運命は今も流転し続けて、偶然、今、彼の音楽を聴く僕の中で息をしている。

Un événement n’est-il pas d’autant plus important et chargé de signification qu’il dépend d’un plus grand nombre de hasards ?

ある出来事が多くの偶然によって在るのは、それだけ重要で多くの意味を含むということではないか?
l'Insoutenable légèreté de l'être (存在の耐えられない軽さ)
Milan Kundera


余談 僕とヤナーチェク

モノクロの世界でどんよりとした灰色の雲の切間。
雨の音やモネの絵のような消えてしまいそうなすりガラスの向こう側の世界から僕に手を振る誰か。
で、突発的にガラスの破片が飛び散るような雨がざーざー降ってきて夢の全てが台無しになる。色のない世界。
そうしたイメージがヤナーチェクの音楽を聴いていると浮かんでくる。

僕はクンデラからヤナーチェクを知ったわけではなく、妻からある日教えてもらった経緯がある。そして、そこまで好きな訳でもないというのが実情だ。偶然、ある時、ラヴェルが好きだと妻に話した際、彼女から話の流れでヤナーチェクを教えてもらった。その時、「霧の中で」とピアノソナタを聴かせてくれた。
ありがとう。
ところで、ヤナーチェクのピアノ曲は好きだけれど、シンフォニーはなんだか山並みの見えるどんよりした雲の小さな村で──ドナウ川の中流あたりのイメージなのだが──仰々しく地域の人たちで集まってるような、その割にモノクロームの濃淡のあまりない世界のイメージが音からしてきて、あまり好きになれない。何故だろう。これはドヴォルザークもそうなのだ。いきなり大きな不協和音的なヴァイオリンが鳴り始めるのが、僕には均衡の維持がぶち壊された雨の日の濁流の川みたいで嫌なのだ。これは民謡っぽい何かがあるからなのか?
よくわからないが、読書するときにシンフォニー流すと落ち着かない気持ちにもなるし、何しろ、クンデラには悪いがロマン派と印象派をミックスしたような不協和音がしつこく感じて好きになれない。頭が痛くなる。似たり寄ったりな感じでもスクリャービンの方が遥かに僕は好きだ。完全なる好みの問題かもしれない。ヤナーチェクをクンデラほど絶賛できない。それでも彼の魂は音の雨粒たちとして生きているのはわかる。

ふと思いついたのだが、あらかじめセットされたショートストーリーから逸脱できないように小さな空間に閉じ込められて緊張と不穏さや不安を不協和音の気配のする3度、6度の和音が強いてくる。だから想像がセットされたものから抜け出せないでいて、息が苦しくなり三半規管がやられる。そんなイメージなのだ。ある意味ではクンデラ的かもしれないが、クンデラはもう少し余白があり想像する余白が許されていて息苦しさも緩急でどうにかなる。

意味不明かもしれないが、これをわかってくれるひとはいるのだろうか。


だが、スクリャービンの不協和音はヤナーチェクみたいにキーキーしていないのだ。スクリャービンは、きちんとその不協和音のフレーズに因果関係のようなものを感じるのだ。ヤナーチェクのものは突発的に思えて頭が痛くなる。
つまり、人に優しくないランダムノイズとして捉えてしまう。しかし、ここに映像もしくは想像が加わると一気にランダムノイズではなくなる、と思う。不協和音と像との間に因果関係ができるため、僕の脳内で人に優しいノイズに変わるのだ。
なんらかの写像の関係が頭の中でパターンから引っ張りだされてくるのかもしれない。

それでもヤナーチェクのピアノ曲はそこそこ好きでもある。いつか、ヤナーチェクのシンフォニーの良さがわかる時が来るのか、かなり怪しい。これは僕の個人的な好みであろう。


今日のあとがき

読み返していて、誰がこれを理解できるのか?そしてこのような極めてどうでも良いことに対して僕はなぜ惹きつけられるのか、と思うとニヤけてしまうと同時に、この一連をショートショートにするための妄想が広がる。

①連想→ニヤける
②連想し始めるとほぼ同時にニヤける
③ニヤける→連想

大抵の場合は①か②で、③は一般的に変態あるいは変人の部類にカテゴライズされてしまう!

「ニヤけて」「妄想する」あるいは、「妄想する」して「ニヤける」
つまり、妄想かニヤける≒笑いどちらかがどちらかのトリガーのひとつにもなったということだ。

それは因果関係を自己生成したということである。因果関係を持たせられるかどうか?というのは偶然から必然に転換されるために──何かしらの共犯じみた関係──かなり重要なファクターなのではないか?

無感情の状態、あるいは、ある一定の許容できるリズムや和音を聴いている状態をエントロピー一定の状態と定義すると、妄想することによって、熱が発生し、そのエネルギーは何かに転換されるのだが、上記の例でいうとニヤけることに最終的に転換されていたり、それらの間に写像的な関係が見出せるかもしれない。
次の音へと連結させるための機能としての休符や静寂が少なく、音と音が緊密でそれぞれに常に因果性が明示されているとエントロピーの増減が不安定で安らげない。

ひとは普段は均衡な心の状態ではなく、均衡を目指すと思うのだが、これは音楽を聴くときにも言えるのかもしれない。その過程で因果関係の一見見いだせない、あるいは前述のように常に明示されたかのような不協和音がやってくると、サルトルの嘔吐のロカンタンの吐き気に繋がるのかもしれない。

ヤナーチェクに幼少期からさまざまな因果性を持って親しんできたクンデラにとっては、親密な何かをその不協和音にも見出せるのだろう。無意識的記憶の作用するところとも言える。まさしく失われた時を求めてのマドレーヌ状況。だから均衡を破ってエントロピーの変化量が大きくならず、親密という密度が一定に近いのかもしれない。ひとによって音楽はかなり与える印象が異なる。その評価もなかなか難しい。したがってヤナーチェクの音楽の運命は評価されるまであまりに長い時間が有されたのかもしれない。

という当たり前といえば当たり前の話でもあるのだが色々と細かくきちんと書いておきたい。

例えば、簡単に均衡と言ってしまっているが、何の均衡か?
エピソードメモリーの均衡か?
など。

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