不穏の書、断章
不穏の書、断章
著者 フェルナンド・ペソア
澤田 直 訳
出版 平凡社
幸福な過去 、その想い出だけが私を幸福にしてくれる 。現在は 、なんの喜びももたらさないし 、なんの興味もないし 、いかなる夢も与えてくれない 。そこで 、この現在とは異なる将来や 、この過去とは異なる過去を持てるという将来を夢見て 、あるいは仮定して 、かつて生きたことのない楽園についての意識を持った亡霊として 、生まれるという希望を持った死産児として 、自らの生を埋葬する 。
-「不穏の書、断章」フェルナンド・ペソアより引用-
一通り読み通した。
読み終える=自身の中で何かしら考察後読んだことを身体の中に溶かす。
大抵の場合、俺はこうした一連の作業を終えて、「読み終えた」とする。
ペソアの詩や散文を読む過程で、彼のシンプルな言葉たちは、俺に考察を中断させ、「感じとっている今の感覚」をタブッキ作品同様にいくつもの残像だけを脳裏に焼き付けていく。
だから、読む度にそれら残像は曖昧になり、また違う残像を構築していく。
故に、俺がペソアを読み終えること自体幻想でしかない。
ジョゼ・サラマゴの言うように、ペソアの作品は終わりなき作品だ。
読む者たちを永遠に辿り着くことのできない蜃気楼の果てへと旅立たせてしまう。
ペソアのシンプルこの上ない言葉たちは俺の断片的な感覚、感性、全てを攪拌し、融合するかと思いきや、また全てを断片的にしていく。
俺の感性にタブッキとペソアの2人は石を投げ込み、その波紋は幾重にも永遠に曼荼羅を描き続けている。
俺はそれをただただ様々な角度に向きを変えてじっと見つめる。
捉えどころのない退廃的詩人に恋に落ちた。
訳者 澤田氏がサルトルの嘔吐でのロカンタンを引き合いに出していたあたりで共感せざる得なかったことを付け加えておきたい。
🍀
ペソアの異名の問題は演劇の本質に関連しているとみるべきであろう 。ある虚構が問題になっているのではなく 、虚構の形而上学あるいは秘術学 、もっといえば虚構の神智学が根底にあるのだ 。ペソアの虚構は常に 「超越論的 」虚構である 。それは 、 「ハジメニ言葉アリキ 」という意味において言葉なのだ 。そしてこの言葉は 、文学的 「テクスト 」では決してない 。ペソアのロゴスは 、その超越性において 、つまり 、実在 =テクスト的次元から逃れ 、存在論 =形而上学的次元において実現するのだ 。
アントニオ ・タブッキ
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