遠い水平線
著者 アントニオ・タブッキ
訳 須賀敦子
出版 白水社
何度目かの再読。
この作品は、個人的にタブッキ作品群の中で最も僕の感性に合う作品であり、とても好きだ。
あまりにも好きすぎて2冊ある😳
この作品はもともと『失われた遺体』というタイトルで、全く内容の異なる小説であった。イタロ・カルヴィーノに原稿を見せたところ、有益な意見や指摘を含む長い手紙が送られてきたという。その数年後に書き直したものが『遠い水平線』である。完成品に手を加えることをしない/満足しないなら出さない方がましというタブッキのスタイルには珍しいケースだった。
あらすじ
考察のような何か
ヘカベについて
ヘカベは前後の脈絡なしに出てくる。
🍀
『ヘカベ』は、古代ギリシアのエウリピデスによるギリシア悲劇の1つ。 トロイア戦争終結後、トロイア王プリアモス妻で、アガメムノーンの奴隷となったヘカベーが、息子ポリュドーロスを殺したトラキア王ポリュメーストールに復讐する様を、ケルソネーソスの浜辺の幕舎を舞台に描かれる。
wikipediaより引用
🍀
ヘカベの話は身元不明の青年は銃で撃たれて亡くなったことからのスピーノが思い浮かべた彼の家族にとっての残像かもしれない。
シェイクスピアの戯曲『ハムレット』の第二幕でハムレットが叫ぶ。
タブッキはこのシェイクスピアのハムレットのセリフを引用し、スピーノにとっての青年とは何なのか(メタとして)スピーノ自身に思索させている。(2021/10/20追記)
そして、夕暮れの中で、ヘカベのメモは風にはためく。
2022年2月24日を受けての感想はInstagramにて。
フクロウと天使について
タブッキはあとがきでスピノザの目の中には水平線があったと残しており、それと同様にスピーノの目の中にも水平線があったと言っている。
遠い水平線はスピノザの目のメタとして僕は考えている。
光=天使、闇=フクロウ 墓碑すなわち青年の死の象徴=真理
最初、青年の死体が運ばれてきたとき、彼は犯罪者たちの仲間に殺されたとされている。しかし、スピーノは生前の青年に対し、偏見のない想像をする。
スピノザの考え方を借りれば、物や人、それぞれ単体においては、善悪はない。それぞれ同士の組み合わせによっての結果が善と悪である。
前半での青年の情報は
銃撃を受けて死んだ
偽名を使っていた
これに対してスピーノの調査から
結婚していた
アルゼンチンにいた少年期
仕事にまじめであった
ことがわかる。
そうした中で、フクロウと天使を考えた場合、「肉体は死すとも、徳は死なず」と書かれている墓地でのフクロウと天使は、死体の青年、青年自体のスピノザのコナトゥス(人間そのもの本質がもつ力)のメタではないかと僕は捉えている。
スピノザのコナトゥス(あらゆるものには自分を維持しようとする力)における善とは、それを助けるもの。
本質は力すなわちコナトゥスである。
フクロウと天使に見守られる青年は人の心に生じる欲望の倫理の在り方、人の本質そのものなのか?
知識としてあっても、「こういうことか」と正確に知る事、体験する事が真の観念を有するといえる。
スピーノは生前の青年を追従することで、真理を得る。
光=天使、闇=フクロウ 墓碑すなわち青年の死の象徴=真理
スピノザはエチカ第4部「人間の隷属あるいは感情の力について」において、このように序文で言っている。
スピノザと遠い水平線
スピーノ/青年=スピノザ
スピノザはエチカにて、汎神論を展開している。神とこの世界とは同じであり、虫や自然にも神が宿っている、あるいは神の一部であるとする考え方。
全て神の一部ならば、青年もスピーノも神の一部に過ぎない。青年をスピーノが重ねていくことも何となく分からなくもない。
(タブッキがエチカを支持していたかは分からないが、はっきりと「スピノザが好きであることを否定しない」とあとがきに残している)
スピーノは、仕事柄、常に他者の死と隣り合わせにいる。
全く自分の生死とは関係のない、他人の死を見続けてきたことを考慮すると、彼が自身の生死、ひいては、自分とは何なのか?存在とは何なのか、を考えるのは自然であろう。
スピーノの目に映る水平線
直感では解る何か、空と海、大地との今にも一つになりそうな夕暮れ時の水平線で、
自分の中のヘカベとは何か、
自分とは何なのか、
スピーノは、身元不明の青年の死体の生前の何かを探すうちに、自分の中での何かを探していた。生と死、
自分と他人、
自分の中の他人、他人の中の自分、
全て水平線のこちら側とあちら側であり、何かで繋がり、手を伸ばせば届くような近さを保つ遠い対極にあるものだ。
最終的に、スピーノは鍵をいつもの場所に置いて、出かけるが、水平線のあちら側へ行ってしまい、僕は二度と彼が帰ってこないように思える。
生と死は、たった一つの水平線で区切られているにすぎない。そしてその水平線は空と海を夕暮れ時、一つに交わらせる。
生と死の水平線の完全性は一般的観念では説明するようなものではない。
生と死や自然物において、完全性はないのだ。
タブッキの著書は全て好きだが、とりわけこの『遠い水平線』は、僕の人生の中でとてつもない影響を与えた大切な一冊だ。
偶然からの必然、人との繋がり、「自分」を維持するとは何なのだろうか
自分の事を理解していくことでこそ自由が生まれ、変化していく。
自分自身の変化・変容にこそ真理があるとしたスピノザ。
スピーノは身元不明の死体の青年を追いかけることによって自分自身の中の何かを変化させていったのかもしれない。
自分自身を維持するというのは、緩やかに変化していくことでもある。
だから、僕は最後、スピーノがカギを置いていった家には戻らないと思うのだ。
アントニオ・タブッキ 略歴
1943年9月23日 イタリア ピサにて誕生
2012年3月25日 ポルトガル リスボンにて永眠(68歳)
まだ未邦訳のものが多い。タブッキは亡くなられたが、これからも日本語に翻訳されて日本に紹介される本が出てくる楽しみがある。
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