「あと1人」は「イージー」を意味しない
書店員は既定の時間が来たら、事務所で退勤の打刻をします。
しかし17時までのシフトでも、帰ろうとした16時59分50秒にお客さんがレジに来たら「じゃあこの人で最後にしよう」と受けることもあります。あと1人だしと。
ところが、これがすぐに終わるとは限らない。1冊だけ買いに来たのかと思いきや「あと図書カード。名画3000円を20枚」とか「取り寄せたい本が何冊かあるんだけど」みたいな話になることもあります。「マジかよ」と心の中で涙目です。似たようなケースでうっかり電話を取ったら、洋書の大量注文と配送希望で1時間以上残業したこともあります。
「あと1人」は必ずしも「イージー」を意味しません。特に大事な予定を退勤後に控えている場合は、決して「このお客さんが終わったら」と楽観視してはいけない。アニメにおける「俺、この戦いが終わったら軍を辞める。そして彼女にプロポーズするんだ」と一緒です。いわゆる「死亡フラグ」に発展する危険性が極めて高い。
野球をやったことがなくても、誰しも人生の中で「1」の怖さを経験しているはず。たとえば1点足らなくて試験に不合格とか、大事な書類が1枚だけ見つからず始末書など。1票差で落選なんてことも起こり得るでしょう。
和月伸宏「るろうに剣心」をご存知ですか?
辛うじて勝利を収めた剣心が「また紙一重でござったな」とつぶやき、相手が「ずいぶんと分厚い紙一重だ」と返すシーンが忘れられません。他にも「一寸先は闇」なんてことわざがあるし「物事が変わるのは一瞬」を決め台詞にしているプロレスラーもいます。
結局俺が何を言いたいかっていうと「1という数字の重さや怖さを、みんな本当はわかっていますよね。だからもう『あと1球』や『あと1人』みたいなことを無責任な場所から他人に軽々しく言うのをやめませんか?」ってこと。