「逃げちゃダメだ」or「逃げる」論
少し前にこんな記事を書きました。
自分のnoteに影響され、先日「水滸伝・天命の誓い」を久し振りにクリアしました。しかし調子に乗って「信長の野望・全国版」のシナリオ1(17ヶ国モード)をプレイしたところ、なんと5回連続でゲームオーバー。
美濃の斎藤義龍や伊賀の六角義賢を選ぶと、いきなり謀反が発生したり隣国から攻め込まれたりしてあっさり終わることは珍しくありません。しかし私が選択したのは三好長慶や織田信長、上杉謙信など。決して弱くない。それでも難しい。信長のときは疫病で兵が一気に減ったタイミングで徳川に攻められ(同盟の有効期限が切れた直後)万事休すでした。
「水滸伝・天命の誓い」も簡単ではない。しかし最後の手段として「逃亡」コマンドがあります。周りを敵に囲まれ、どうしようもなくなったら領土を捨て、他の土地へ逃げ込める。誰の統治国とも隣接していない空白地をねぐらに定めて内政を整え、再起を図ることができるのです。
「全国版」にはそういう術がない。空白地が存在せず、常に敵国と隣り合っている。逃げ道なんてないのが現実だよ、としたり顔で諭されたら未熟者の私は何も言えません。ただこの状況下だと、前述した斎藤や六角でクリアするのは運任せに等しく、努力のしようがない。
いわゆる「ガチャ」概念に従えば、それも人生の真実かもしれない。一方で「水滸伝」の「逃亡」もまた確たる真実ではないでしょうか?
「新世紀エヴァンゲリオン」がブームになった頃、主人公の「逃げちゃダメだ」というセリフが流行りました。しかし私の記憶が確かならば、最終回でミサトさんが「逃げてもいいのよ」と話していたはず。
「逃げる」という選択肢が、己の属する社会にしっかり存在する。許容されている。それが重要なのかもしれません。
レトロゲームは奥が深いです。