ハードボイルド書店員日記③
なぜこんなものが売れるのか。
炎天下の自販機でコーンスープに赤ランプが点灯するとは誰も思わない。だが現に減っているのだから補充せざるを得ない。やらねば数字が落ち、あとでやんわりと叱責される。薄利多売の宿命だ。この葛藤に苛まれたことのない書店員は幸せだろう。キリマンジャロの香りもコロンビアの酸味も知らずに紙パックをいちばんと信じられるのだから。
担当外の棚を眺めていて「なぜあれを置かないのか」と首を捻る場合もある。権限がないと発注できない。無断でおこなったことが発覚すればややこしい事態になる。ばれずに済んでも担当者が「こんなの頼んでない」と即返(即返品の略)したら意味がない。「これは信用できるエビデンスの詰まった良書です。人々をインフォデミックから守るためにぜひ置いてください。関連本もいくつか知っているので一緒にお願いします」と熱をこめてプレゼンすれば十三人にひとりは受け入れてくれる。彼らは忙しい。私にも私の仕事がある。どちらも店のために働くのは契約した時間の中だけだ。
宗教書の並びを直した。神道と禅宗と日蓮宗と浄土宗とイスラム教が珍奇な現代アートのように混ざり合っていたからだ。後日「仏教系の大学を出たんですか?」「そういう勉強してたの?」と同僚数名に訝しげな顔をされた。私は意識的に眉間から力を抜き、「出ていません」「していません」と返した。事実学んだというレベルではない。各宗派の特徴や開祖の名は中学の受験勉強で丸暗記した。昨日教わった新しい配送伝票の書き方はもう忘れたのに、二十年前に詰め込んだ役立たずの知識はまだ残っている。
あとはオイゲン・ヘリゲル「日本の弓術」や「歎異抄」など著名な作品を興味本位で読み飛ばしたに過ぎない。つまり普通に本を読んでいれば知っている程度の知識しか持ち合わせていないのだ。尤も「ここの社員にはそれすらもないのか」と見下すつもりはない。一般常識の欠如という点ではスクリーンショットの撮り方を十五分前まで知らなかった私の方が深刻だ。おかげで見たくもない給与明細を保存できた。
彼らは私を某学会の信者ではないかと疑っていた節がある。疑われてもかまわない。この国では信教の自由は誰にでも許されている。かくいう私も鰯の頭の効能を信じている。丸かじりすればカルシウムを摂取できて歯槽膿漏を防げるに違いない。