見出し画像

【本とわたし】 海からの贈物。 

 本を読んでいると、この著者に会ってみたい!という気持ちになることがありますが、まさにこれはそんな本でした。
 何度読んでも心に深く沁みいる。年齢を重ねてから読みかえすと、また味わい深いかもしれません。


 1955年に最初に出版された、『海からの贈物』アン・モロウ・リンドバーグ著。日本で原著が出版されたのは翌年の1956年(昭和31年)新潮社。それから、1967年(昭和42年)7月に新潮文庫から刊行。

女はいつも自分をこぼしている。
そして、子供、男、また社会を養うために
与え続けるのが女の役目であるならば、
女はどうすれば満たされるのだろうか。
居心地の良さそうに掌に納まり、美しい螺旋を描く、この小さなつめた貝が答えをくれる。

 大西洋横断飛行に最初に成功した、夫:チャールズ・リンドバーグを支え、5人の子どもたちを育てながら、自身も飛行と執筆活動を続け活躍していた著者。彼女が、1950年代初頭にフロリダのある島で休暇を過ごし、滞在中に、若さと年齢、愛と結婚、平和、孤独、そして満足について、思いを巡らせたことをエッセイとしてまとめている。(ウィキペディア参照)

 今読んでも、心に深いところに届く言葉が多かったし、時代が流れてもなお、色褪せない言葉や信念がここにはある。
今日は、本のなかの言葉を引用しながら「気づいたこと・思ったこと」をまとめました。
どうぞ、お付き合いください。





▼女は無意味に与えることを嫌う。

女は喉を乾かしているもののために
絶えず自分をというものをこぼしている。
縁まで一杯に満たされるだけの時間も、
余裕も与えられることが殆どない。

 女はいつも自分を与えている。自分の人生を振り返ってみてもそうであったと思う。子供に、男に、そして社会のために。それが「女として生きる」ということなのだと(この本を通して)そのことをちゃんと自覚したように思う。大袈裟な表現かもしれないけれど、それくらいこの本は、女について、大変丁寧に綴られている。

 与えれば与えるほど、さらに与えるものが湧き上がってくる。『女は本能的に与えることを望んでいる。ただ自分を小刻みに与えること喜ばない。無意味に与えるのを嫌うのである。』と本のなかでは言っている。

 私を与えるからには、意味あるもの・価値あるものに自分を与えたいと思うのは、むしろ当然のことなのだとわたしも思う。そして目で見て確認・認識できるもの以外にも、やっぱり目に見えないものまである。むしろ、目に見えないものをずっと与え続けているのではないか、とさえ私は感じる。



▼女は満たされる必要がある。

与えることに意味があっても、与えただけのものを補う源泉が何かなくてはならなくて、乳がいつも出るために栄養を取らなけれならない。与えるのが女の役目であるならば、同時に女は満たされることが必要である。しかし、それはどうすればいいのか。

与えるからには、湧き出る源泉がなければならない。女は満たされることが必要である。ってそう、満たされること。それは一体何のか。アンの考え、私も共感している。やっぱり!と思った。その言葉はぜひ本で読んでいただきたいと思う。多くの女性はきっと納得するのではないかと思う。もうすでにそうしている、とも言える。そして読後には、積極的にそういう時間取ろうと、ますます意識することになるかもしれない。


魂の静寂を。


▼ただそれだけで一つの完全な世界。

二人の人間が互いに相手の声に耳を傾け、
貝の両面が合さって、ひとつの世界をつくる。

『この瞬間の完璧な融合に、他の人間、事情や関心は何一つ入ってこない。それはまだいろいろな縁とか、義理とかに束縛されず、責任も感じられなければ、未来のことに対する心配や、過去のことに対する義務も伴っていない。』・・・ある人間との深い対話において、その空間は、その世界は、彼らだけのひとつの世界を創り出している。

『ただそれだけで、一つの完全世界が出来上がっているような気がする』
私もそんな経験を何度かさせてもらったことがある。30代のとき、初めてそう感じられるような経験をしたのだけれど。当時は、これがどういうことなのか、どう言葉として表現したら良いのか、よく分からなかった。けれど、あれからまた大人になって分かってきた、この言葉の意味。『この瞬間の完璧な融合』が現れたとき、テーブルを挟んで座るふたりの人間に包まれている空気が、ほんとうに一つになる。そして、その世界はなんとも美しい。



▼ふたつの孤独が触れ合う。

このもっと人間的な愛、
またこの、二つの孤独が触れ合うという観念は、
決して簡単に自分のものにすることができるものではない。
それは凡てしっかり根をおろした成長と同様に、
徐々に育つ他ないのである。


 「孤独が触れ合う」という言葉を読んだとき、前に比べて受け止める気持ちが変わったな、と気づいた。過去に体験した『孤独』は、いろんなことを教えてくれた、と歳を重ねて思うことがある。

 
孤独=暗さ、ネガティブさ、冷たさ、というイメージがあるけれども。そうではなかった。
○ 人は、一人一人違うということを本当に意味で知ったときの『孤独』
○ 二人の人間の間でなんでも完全に分け合うことができない『孤独』

そういう孤独というのを受け止められるようになったとき、人との関わりは「孤独同士の触れ合い」「孤独同士の交わり」であるんだなぁと私もゆっくりと理解できるようになってきたように思う。

依存や比較、競争などはなくて、お互いの孤独を受け止めたうえで、その人と接することは、それまでとは違う形でまたその人を受け止めることができるように思う。


イエーツは人生の最高の経験は、
『深遠なことを二人で一緒に考えて、
それから触れ合うこと』
であると言ったが、
そのどっちもなくてならないのである。


最後に

女として、また人間としての「わたしの生きる道」に、ひとつの光を与えてくれた。

私は進んで自分自身も一つになることを求めて、そういう時間を作らなければならないことを教えてくれた。

女であることに誇りと自信を持ち、湧き出る恵みをたえず、大切な人に、また社会に与え続けていたいと思った。

女として生きている喜びを。

季節がすすみ読書の秋を迎えましたが、
自分の内側と向き合う本こそ、
秋にぴったりではないかと思う。

よろしければ、ぜひ読んでみてください。
最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました!




この記事が参加している募集