見出し画像

嫌いなことをやるくらいなら死んだ方がマシだと思ったけど、嫌いなことでも続けたら想像しなかった未来になった

『お前の話し方変だな。何言ってるかわかんねぇ』

その瞬間、人前で話すことが“嫌い”になった。
肌寒くなり始めた小4の10月、僕の“大好き”“嫌い”になってしまったのだ。


■ 大好きが嫌いになった理由

元々人前で話すことが“嫌い”だった訳ではない。
大きな声で誰かと話すことが“大好き”だった。
友人の一言で"大好き”は一瞬にして“嫌い”になってしまったのだ。

友人も悪気があったのかなかったのかは分からないが、人が話す言葉が与える影響や威力を幼心に学んだ。

澄み渡った青空、膝の高さまで生えている草花、車やトラックの走る音に時折聞こえる鳥の囀り、トラックの排気ガスの臭いに金木犀の香り、自販機で買ったばかりのペットボトルの冷たさ

当時の情景は未だに覚えている。

「話し方が変」だと言われた原因、それが「吃音症」だ。
すなわち、僕が話すことを“嫌い”になった原因でもある。
幼い頃から話し始めの一言目が出づらく、どもっていた。
話そうと思っても、一言目が出ないことに自分自身でも気付いていた。
僕の場合は、特に「さ行」と「た行」そして濁点の言葉が出づらい。
それは少なからず、今でもある。
先日もお客様に電話した際にも、「たかはし様はいらっしゃいますか?」の「た」が出てこず、数秒間沈黙が続いてしまい、「もしもし?」と言われたほどだ。
言葉にだそうとしても出てこないのは、なんとももどかしいものだ。

元々どもり癖があったにも関わらず、何の不自由もなく過ごせていたのは、誰からも“指摘されなかった”からだ。
指摘されなかったのは、運が良かったのか悪かったのか何とも言えない。

「話し方が変」と言われてからは、話す際にかなり気を遣うようになった。
最初の言葉が出そうか出そうでないかを確かめてから話す。
いけそうならそのまま話し始める。
そして、どもらないようにゆっくりと話す。

そんなことを意識的にしていると、話すことが“疲れる”ようになってくる。

話すことをいっそのこと止めてしまおうかとも思った。

しかし、人としてコミュニケーションの一つである話すことを止めさせてもらえるはずもなかった。

というよりは、話すことを止める【勇気】がなかっただけなのだ。

たまに、言葉を繰り返してどもってしまうこともあったが、咳ばらいをしてごまかした。

そうして、自分や周りをごまかしながら、中学・高校・大学と学生時代を過ごした。

大学3年の冬、出来ることなら話さないで済むような仕事をしたいと思っていた。
事務職や技術職ならあまり話さなくてもパソコンや機械に向かって作業していればいいと思い、就職活動をしていた。

結果的に採用された企業には「総合職」としてメーカーに入社することになった。
入社してからは、メンテンナス担当として従事することになった。
社内で機械を修理すれば良かったので、あまり会話もすることがなく最高だと思えた。

そんな最高な時間も半年で終わってしまった。 

■ 嫌いなことをやるくらいなら死んだ方がマシだと思った理由

主な取引先は「書店」であったが、入社当時は新規出店が毎月複数店舗でるほどの状況で、売上も伸びていった。
新店がオープンする前は、書店に開店の手伝いにいくことになっており、少人数の会社だったため、皆が慌ただしくしていた。

あまりの盛況ぶりに営業の人数が足りないという問題が発生したのだ。
新しく採用するにも直ぐに集まることはなかったため、社内で異動することが決まった。

事務は女性2人だったため、メンテナンス担当者から異動することはわかっていたが、先輩が3人いたので自分は移動することがないと思って安心しきっていた。

しかし、その安心は一気に“絶望”へと変わるのだった。

『明日から営業を頼む。スーツを着て出社するように』

たった一言で全く喜べないくらいにあっさりと営業への異動が決まったのだ。

またしても、発する言葉が与える威力、いや暴力を感じることになった。
以前と違うところは、全く情景を思い出せないところだ。

断ろうと思ったが、入社して半年しか経っていない何も出来ない何も覚えていない若造が断るなんてできるはずもなかった。

その瞬間、嫌いなことから逃げた罰として、嫌いなことをやらなければいけなくなったのだ。

もし、神様がいるのなら一生恨んでやろうと思った。
しかしその反面、「いや、恨んだところで何も変わりはしない」とどこか冷静な自分に笑けてきた。

そうこうしているうちに、明日から会社にいきたくない、仕事をしたくないという気持ちが一気に押し寄せてきた。
むしろ「辞めたい」と思い始めた。

嫌いなことをやらないといけないことほど、苦痛なことはない。
ましてやトラウマになっていることをやらないといけないことほど、生き地獄なことはなかった。

人前で話すくらいなら“死んだ方がマシ“だとさえ思った。

■ 嫌いだと再認識させられた理由

嫌すぎる気持ちからなのか緊張からなのか、ネクタイをきつく締めすぎて息苦しいことに会社に着くまで気付かなかった。
会社の前までは行ったものの、扉を開くことが出来ず立ち止まった。
暫くその場に立ちすくんでいたが、先輩が後ろからきて押されるように中に入ってしまった。
幸か不幸か何とか出社することが出来たのだ。

そうして、初日から先輩と同行で僕の営業活動が始まった。

1ヶ月間は、毎日同行で一日中書店を回った。
いつか独り立ちして困らないよう一生懸命やりとりを聞いたり、手帳に書き込んだりした。
お客様のことを覚えようと、専用のノートを作り、店舗の大きさや扱っている商品、店長の名前に担当者の名前、話した内容や聞いた内容、売れ筋のマンガや本のタイトルなど、目についたものや聞いたもの全てを書き記した。

『明日から一人で営業頼むよ』

とうとうこの日がやってきてしまった。
いつこの日が来てもいいようにイメージトレーニングだけはバッチリやっていた。
イメージ通りにやれば、何とか相手との会話もいけるだろうと確信していた。

確信はしていたものの“安心”はできなかった。
心の奥に「過去のトラウマ」が潜んでいて、不安がチラチラ顔をのぞかせていたからだ。

移動中の車では、「こんな感じで話して」とか「この話からこの提案をして」と、頭の中で何度も何度もロールプレイングをした。
上手くいっているイメージしか出来ない。

自分は営業の天才かもしれないと思えるほどの自信があった。

一人で初営業の訪問先は、初めて行く店舗ではなかったので、尚更そう感じたのかもしれない。

トップ営業マンとしてのお客様に喜んでもらっているイメージしか湧かなかった。

それでもなお、やっぱり自信はあっても“安心”はできなかった。

しっかりと情報を書き込んだノートを見返して、いざ、初一人営業としての一歩を踏み入れた。

カウンターの女性に声をかける。

『株式会社〇〇の▲▲ですが、店長の◇◇様と11時にお約束させていただいておりましたが、いらっしゃいますでしょうか』

『少々お待ちくださいませ』
そう言うと女性は事務所に入っていった。

見慣れた店内を見渡している内に店長が現れた。

『お、お、お世話になります。お、お忙しいところありがとうございます』

緊張からかどもってしまった。
「ヤバイ」と思った瞬間、鼓動が早くなっていくのを感じた。

『どうも。ん?今日は一人かい?』

『はい、き、き、今日は一人で伺わせていただきました』

またしてもどもりがでてしまった。
冷や汗がでてくる。

次の瞬間、もっとも恐れていたことが起こってしまう。

何を話したらよいか忘れてしまったのだ。

「ヤバイヤバイ」と思いながら一生懸命に頭の中の引き出しを開けるも、何も出てこない。

少し間があり、何とか振り絞って出した言葉が

『最近売上はどんな感じですか』

いきなりストレートな質問を投げかけてしまった。

『ぼちぼちやな』

『そうですか』

会話が終わってしまった。
次の言葉がでてこない。
何を話したらいいのか分からない。
あれだけイメージトレーニングはバッチリだったのにも関わらず、全然イメージ通りにいかない。
無言のまま気持ちは焦っていたが、笑顔で店長を見つめていた。

『それで今日は何の用なん?』

店長の言葉で、思い出したかのように急いで鞄からカタログを取り出しで紹介する。

『これいいですよ!どうですか?』

『あぁー、今は必要ないからええわ』

『そうですか。では、また宜しくお願いします』

挨拶をして逃げるかのように店をでていった。

入店してから退店までの時間・・・・わずか7分。

質問が剛速球並のストレートな上に、電話でも済むような話をしにわざわざ店までいったようなものだ。

訪問前にあった確信や自信は、跡形もなく“絶望”に塗り替えられていた。

初一人営業は悪い意味で忘れられない一日となったのだ。

その後も、同じようなことが何日も何ヶ月も続いた。
時には、『忙しいから帰ってくれるか?』『何かある時だけきてや』と言われることもあった。

自分には営業は向いていないと感じた。
営業に向いてないというよりは、“話すのが嫌いだ”ということを再認識させられたのだ。

もちろんそんなやつに成果が出せるわけもなかった。
失礼な質問に、電話で済むようなことをわざわざ行って話しているだけだからだ。

嫌々ながらもお客様に怒られながらも、成果がでなくても続けられたのは、個人ノルマがなく、上司や先輩方が良い人達だったからだろう。

■ 嫌いなことが好きになった理由

3年たったある日、僕は逃げてしまった。

いつものように営業にでかけたが、店に向かうと足が震えて吐き気がしてきた。
店内に入ることができない。
車に戻ると落ち着くが、暫くして店に向かうと同じように症状を発症してしまう。
明らかに身体が書店に入るのを拒否しているのだ。
どうしても入ることが出来ない。
ついに、店には行かずその場から立ち去ってしまった。

その日は、1店舗も営業に行くことが出来ずに帰ってしまった。
帰ってから状況報告しなければならなかったが、嘘をついた。

結局その週は、毎日営業に向かったにも関わらず、1店舗もいくことが出来なかった。
スーパーの駐車場でただただ時間が過ぎていくのを待った。

仕事をしていないこと、嘘をついて報告していること
そんな自分が嫌になっていた。

休みの日に、克服のために近くの書店に行くようにした。
仕事でないと思うとすんなり行けたのだ。

つまりは、仕事だと思うと行けなくなるということだ。

しかし、いつまでもそうしているわけにもいかず、小さな目標を自分に課しながら訪問できた自分を褒めるようにした。

今日は店内に入れた!
今日は店員さんに話しかけられた!
今日は店長に商品を勧められた!

良く頑張ったな俺!そうすることで自分を保ち続けたのだ。
会社には申し訳ないが、売上の事を考える余裕なんてなかった。

■ 嫌いなことでも続けたら、想像しなかった未来になった理由

もうかれこれ17年書店営業をしている。
嫌々ではあったが、多くの書店を回らせていただいたお陰で、素晴らしい経営者や書店員に出会う事ができた。

30歳を目前にしたある日をきっかけに僕の人生が変わった。

友人が自ら人生を終わらせたのだ。

仕事が辛い、プライベートでも上手くいかない

相談を受けていたが、『大丈夫、何とかなるって』と無責任な言葉ばかり返していた。

自分を責めた。
言葉の影響力を知っていたにも関わらず、追い込んでしまうような言葉を伝えていたからだ。

“自分のせいだ”と何日も何日も自分を責めた。
しかし、自分を責めても友人が帰ってくることはなかった。

そんな状態で仕事をしていたが、全く覚えていない。
どこに行ってたのか。何を話していたのか。
全く思い出せない。

唯一覚えているが、たまたま目についた本を手にとった時だ。

そこには【あした死ぬかもよ? 人生最後の日に笑って死ねる27の質問 】と書いてあった。
著者は、ひすいこたろうさん。
全く聞いたことのない著者さんだった。
(今なら超すごい作家さんだと分かるが)

中には、明日死ぬとしたらどうしたい?という内容の質問が書かれていた。
ページをめくる度に文字が見えにくくなった。
自然と涙が溢れ落ちていた。

初めて本を読んで涙を流した瞬間だった。

そして、頭の中で『毎日笑顔で楽しく過ごしてな。俺の分まで』と聞こえた気がきた。
いや、気がしたのではなく聞こえたのだ。

「俺って誰だよ」と思った瞬間に友人の顔が思い浮かんだ。

『そうか、あいつからのメッセージだ』

そう思ってから一日も無駄に出来ないと誓った。
“あいつの分まで俺が生きよう”そう心に決めたのだ。

これが人生を変えるきっかけとなった。
そして“本”が人生を変えるきっかけになると確信した日でもあった。

それからの営業は接し方を変えた。

「この人と会うのは今日が最後かもしれない。この人のために何が出来るだろうか。」

目の前のお客様を笑顔にするために、とにかく自分が出来ることをした。
店内で手伝えることがあれば手伝ったし、自社の商品じゃなくてもお客様が探しているものがあれば、探し出して紹介したりもした。

いつしか人と話すことが“好き”になっていた。
“嫌い”“好き”に変わる瞬間だった。

それからというもの、成果もでるようになった。
毎日のように連絡をくれたり、訪問すると喜んでもらえたり、お土産をくれたり、たくさんのお客様から頼りにされることも増えた。
いつしか昇進して、今では部門長として毎日仕事に取り組んでいる。

仕事の楽しさややりがいを教えてくれた書店には感謝しかない。
嫌いだった「人と話すこと」を好きにさせてくれた書店の経営者の方々や書店員には感謝してもしきれない。
そして、人生を変えてくれた“本”の力には今でも頼っている。

嫌で嫌で仕方なかった僕の未来は、好きで好きで仕方ない未来になっている。

それは、嫌いなことでも続けたことで見えてきた、想像していなかった未来だ。 

僕の想像していなかった未来は、想像した通りの未来になったのだ。

過去も未来も自分次第で変えることができる。
もっと言えば、“自分”にしか変えることは出来ないのだ。
どんなに辛い過去も変えることはできる。

それが僕が、本屋マイスターとして一番伝えたいことだ。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集