文系雑学ラスト「マスメディアの歴史シリーズ:ラスト」【あなたは日本の雑誌の歴史、知っていますか⁇】
こんばんは、かつです。
文系雑学ラスト、マスメディアの歴史ラスト、日本の雑誌の歴史を概説したいと思います‼︎
私たちの暮らしになくてはならない雑誌。その歴史を振り返ると、どのようにして現在の形になったのでしょうか?
「(概説)日本の雑誌の歴史:時代を映すページの旅」
1.日本の雑誌の歴史の始まり
日本の雑誌の歴史は、1867年の西洋雑誌で、洋学者の柳川春三が欧米の学術記事を翻訳して創刊されたことから始まりました。
2.明治初年の雑誌創刊
明治初年に、東京を中心に雑誌が次々と創刊されました。これは、報道のほかに政治問題などの議論を行い、新しい言論活動を始めました。また、森有礼・福沢諭吉・西周・津田真道・加藤弘之・西村茂樹らの洋学者は、1873年(明治6年)に明六社を組織し、翌年から明六雑誌を発行して、演説会を開き、封建思想の排除と近代思想の普及に努めました。
3.大正時代の大衆向け雑誌
大正時代になると、大衆向けの雑誌が次々と創刊されました。具体的には、主婦を対象とした「主婦之友」(図1参照)、サンデー毎日や週刊朝日などの「週刊誌」(図2参照)、大衆娯楽雑誌「キング」(図3参照)が読者を集めました。
4.昭和時代の雑誌の発展
昭和時代になると、現代日本文学全集などの「円本」(図4参照)や、東西の名著を手軽な文庫本とした岩波文庫が登場し、低価格・大量出版の先駆けとなり、「キング」の発行部数は100万部を超えました。
5.1960年代のマンガ産業の成立
1960年代にマンガ産業が成立し、団塊の世代の登場により、少年向けの週刊マンガ雑誌「週刊少年マガジン」や「週刊少年サンデー」が創刊され、マンガの読者年齢層が広がりました。また、少女向けの週刊マンガ雑誌「週刊少女フレンド」や「週刊マーガレット」が登場し、少女マンガが確立されました。
6.1980年代のマンガ雑誌の多様化
1980年代には、マンガ雑誌は多様な性別・年齢を対象にするようになりました。
7.1990年代のマンガ市場の特徴
1990年代はマンガ雑誌の多様化により、ある程度明確に読者が分かれていた時期でした。1980年代後半まで続いていたマンガ読者とマンガ雑誌の拡大により、大手出版社は、様々な性別・年齢を対象としたマンガ雑誌のラインナップを完成させていました。例として、1990年代の小学館の男性向けの雑誌を見ると「コロコロコミック」が幼児から小学校低学年向け、「週刊少年サンデー」が小学生から中学生、「ヤングサンデー」(現在は休刊)が中学生から高校生、その上に青年やそれ以上の年代の読者向けに「ビッグコミックスピリッツ」や「ビッグコミック」があるという形で、各年代の読者に向けた雑誌が満遍なく揃っていました。
このように、1990年代のマンガ市場は、特定の性別・年齢によって区分された読者を対象とした多数のマンガ雑誌が存在し、様々な日常的な空間において読まれていた時代でした。
8.まとめ
雑誌が発達すると、情報にふれる機会を得た人々の生活は向上していきました。
締め
日本の雑誌の歴史を概説しましたが、いかがだったでしょうか。
この記事を通じて、雑誌の歴史を再確認できたのではないでしょうか。是非、参考にしてみて下さいね!