大学院卒業後も長期調査(文化人類学)がしたい
「院を卒業すると誰も長期調査に行かないよね。」
このうちの教授の嘆き(憤慨?)を耳にしたことで、わたしの人生は紆余曲折を遂げる。
だいたい文化人類学の海外(国内でも)滞在日数はえぐいほどに長い。
中央アジア関連の学会等に参加していると、その参加者の大多数は歴史学者である。
そしてかれらは1週間モスクワやドイツ(中央アジア関連は文献が分散している)に滞在したことを申し訳なさそうに語る。そんなに長い(!)あいだ、遊びに行ってたんじゃないの?(失笑)というやつである。
ところが文化人類学になると、特にうちの教授の場合だが、新入生がゼミで
「3か月現地に行って…」
などといおうもんなら
「きみは3か月程度で現地のことがわかるとでも思っているのか!!」
という檄が飛ぶ。
一時東欧の国から日本語ペラペラの女性がゼミに参加されていたことがあったのだが、彼女は外国人が喜びそうな日本のちょっと古風なテーマについておもしろそうにまとめておられたが、
海外での学会発表でも好評でした、とのべる彼女に、教授は
「でもあなたは現地の住み込みをしていないよね」
「現地のひとにとって〇〇〇という存在がどういう存在かということをひとつもほりさげてないよね」
といい、彼女に、博士号を与えないという決定をくだした。
ところが院を卒業すると大概の学生の就職先は大学である。大学というのは入試の監督をして授業をして論文を指導して学生の助成金の申請に推薦文を書き、日本にいつづけなければならない職業である。
新疆を調査して、留学という経験がいかに現地のひとびとのまなざしとは乖離した現地経験だったかということに気づかされたわたしにとって、そしてそのときだした結論が、まだ発端でしかないということに気づかされたわたしにとって、もう調査しないという選択肢はありえなかった。
そこからひとりぼっちの調査がはじまる。
以前、文化人類学的某所に所属をえていた時分、事務に10か月パキスタンに行きますとつたえたら
「なんでそんなに行くんですか」
といわれたことがある。あなたはそれでも文化人類学的某所ではたらく事務員なのかと肩をゆさぶりたかった(てません)。
今西錦司氏が、
「理系なら20代、文系なら30代までにあたらしい理論をつくれなければ、そのひとは教授になろうがなんになろうが新しい理論は生み出せない」
「わたしは40まで定職につかなかった。」
ということをおっしゃっておられ(ちょっと文献が手元にない状況なので、あとで引用つけます[フィールド中]文献はこちら↓)
こんな破壊的な指摘はないよねぇ(笑)とわたしも思います(笑)。
とりまわたしは「よっしゃ今西俺の舎弟!(激烈暴論)」というタイミングはあったのだが(まあ論文は載ったのでうれしい)
こんな破壊的な人生を送っている研究者がほかにいるのかなぁとは思っております(ゼミほかの知り合いでまだ調査(長期)続けている人いましぇん。)
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