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水のなかの花|原民喜さん|まとめ

その詩人が遺した幻をひもときながら
今宵もまた眠りに落ちる

夢のように澄んでいて
哀しみに満ち満ちた

そのひとの精神の中に
溶け込んでいく


おぼろな星が
水に沈むように


深く
うす明るいたそがれの
水で満たされた空に
一滴の雫がゆらめいて
薄墨の模様を流す

それは
花びらを色づける
神さまの寂しい筆を持つひと

読んでいる者を
ひとひらの香りにし
溶かし込んでいく
溶剤のようなことばを
つむぐひと


うっとりと絶望し
錯乱していく
白い花の
時に狂い咲くおもてを見ているようで

気づけば
しんとした深更が
いつの間にかひっそりと
私の傍らに在る


そのひとの心に
沈んでしまったら
私はどんなにか
怖い思いをするだろう


儚くも強く
自らを
自分の夢想へと解き放った
そのひとは

今日もなつかしい
夢の汀に安らっている

どうか苦しい記憶を手放して
死と孤独を離れ

とこしえなる愛の宮に
ましますように


《水のなかの花》/ 星の汀



長くなったので、興味があればつまみ読みしてくださいね(^^) 最後に載せた写真だけ覗いてみるのもよいかもしれません。

まずは目次です↓↓


💎 引用:『画集』より「記憶」・『小さな庭』より「墓」

もしも一人の男がこの世から懸絶したところに、うら若い妻をつれて、そこで夢のやうな暮しをつづけたとしたら、男の魂のなかにたち還つてくるのは、恐らく幼ない日の記憶ばかりだらう。そして、その男の幼児のやうな暮しが、ひつそりとすぎ去つたとき、もう彼の妻はこの世にゐなかつたとしても、男の魂のなかに栖むのは妻の面影ばかりだらう。彼はまだ頑に呆然と待ち望んでゐる、満目蕭条見渡す限りの物寂しい様子たる己の晩年に、美しい記憶以上の記憶が甦つてくる奇蹟を。

『画集』より「記憶」


 うつくしい、うつくしい墓の夢。それはかつて旅をしたとき何処かでみた景色であつたが、こんなに心をなごますのは、この世の眺めではないらしい。たとへば白い霧も嘆きではなく、しづかにふりそそぐ月の光も、まばらな木々を浮彫にして、青い石碑には薔薇の花。おまへの墓はどこにあるのか、立ち去りかねて眺めやれば、ここらあたりがすべて墓なのだ。

『小さな庭』より「墓」




💎 読んでいるもの

  • 講談社文芸文庫『原民喜戦後全小説』上下合本

  • 岩波文庫『原民喜全詩集』→巻末の年譜を対照させながら

  • 青空文庫まとめ書籍も少々

    (いずれもkindleです。ワード検索、しおり、ハイライト...非常に重宝します。このワード、よそでも見たよね..."パセチック"なんて、そのたびにベートーヴェンの《悲愴》が流れます。 )



💎 近さゆえの...濃密なる"原民喜weeks"


漆黒のスクリーンに、光でかたどった白い文字が浮かび上がると、"あの界隈"へとまっすぐに、透明なグラスファイバーが架けられる―。


数年前まで住んでいたのが、原民喜さん生家のあたり。戦後、区画も整理されたはずだし、現在の番地がはっきり分からないけれど、たぶん徒歩1~2分ほどの至近距離でした。ゆかりのシダレヤナギもそのくらいの距離。私の日常風景の一部。

東京を舞台にした作品ならまだよいのです。でも、広島についての回想をひもとくにつけ、やわらかなものも震えるものも、ほぼその真中まなかに否応なく投げ込まれてしまう、このリアルな肌へのそよぎ。

きれいなものだけ読むのはずるい気がして...震撼し、口の中がからからに干あがるようなものも読みました。『夏の花』三部作や、構成詩『原爆小景』、『鎮魂歌』。私の周りで今、原民喜さん一家が逃げまどっているような、奇妙な時間軸の歪みの中で。

少年時代の父の死、その後の黒いスミレのような寡黙、戦後の困窮と飢餓と病苦、惨禍の絶え間ないフラッシュバック...でも、奥さまの思い出は儚くも美しく、絶対的な星のかがり火のよう。そして、すべての場所を空気のように、淡光のように満たしています。

そして、妻よ、お前はいる、殆ど僕の見わたすところに、最も近く最も遥かなところまで、最も切なる祈りのように。

『鎮魂歌』


奥さまの仕草がこもる日常風景、まなざしの先を追う細やかさ、瞳の表情までつくづくと。等身大の姿の、可愛らしくも尊いたたずまい。

文章に立ち現れてくるその救いの哀しい貴さと不思議さに、安堵を覚えながら。

夜更けにじっと眠りも浅く、夜中に寝汗をかきながら...
とりわけ奥様が亡くなる『美しき死の岸に』では、魂の旅立ちを冒涜するような肉体への責め苦を読むにつけ、私自身の奥深くにこごっている肉体の死への拒絶/抗議ゆえ、軽い吐き気を催しながら...
(私にも、早くに病没した肉親がいるのです)

...読書というよりひとつの体験をしたような濃密なる数週間でした。



💎 かすかな調べに耳をかたむける


だれかに向けてのつぶやき。
書き留められたひとりごと。

それを、私個人ではなく、あるひとりの人として魂として、じっくり聞き遂げることに、何か意味があるような気がして。

そしてあらためて、そうだった...あの日、人間はみな熱線と炎で、個性も人格も(外見上の)男女の区別も、なにもかも一瞬にして失ったのだった、と思い返します。残ったのは、あとどのくらいすぐに死ぬかのカウントダウンだけ。

原爆資料館展示や絵画、峠三吉の詩をはじめとするさまざまなテクストで、広島育ちの私が繰り返し学んできたことのひとつです。

個性や自我や容姿や...そういったものを《彩り》として讃えたい一方で、いえ、そのためにこそ、それらを剥ぎ取ったところにある、無色透明な、同質なるもの/平等なるものを見つめていたい...その思いの根底にあるもののひとつが、今は緑豊かな《七つの川の街今は統合されて六つらしい》「広島」なのかもしれません。
それが私の"多様性"観の根っこにあるもの、だとすると、ちょっと虚無的ではありますが。

そういえば、原民喜さんの作品においても、「僕」とか「お前」、「私の妻」などの性別を喚起する言葉を除いたとき、性別のない人であり、余分な属性を流し尽くした魂のつぶやきのような人にも思えてきます。



さて。私は原民喜さんを戦争文学のつもりで読んではいないのですが、その観点でいえば、戦争による荒廃をつぶさに読んだのは初めてだったかもしれず、国土を破壊された爪痕の深さを知りました。生活苦の中、隣同士で妬みあったりいがみ合ったりも、戦争がなければ起きなかったはずのことですものね。

今現在も、ウクライナが侵略を受けていますから、人々にも思いを馳せつつ読んでいます。戦闘状態を一日も早く終わらせるのがまずは火急の用ですが、その後の復興もまた長い道のりのようです...。でも、第二次世界大戦後とは違い、今は世界のあちこちの国が、ウクライナに支援の手を差し伸べていますから、それだけでも少しはましなのかもしれません。私も及ばずながら引き続き支援をしていく所存です。

原民喜さん、飢餓のため体重が九貫(34kg)だった時もあるとかで...その時そこにいたら、『ごんぎつね』のごんみたいに、こっそり食糧を置いていって差し上げたいところですが...その代わりに今、ウクライナに寄付しているのかもしれません。

燃え狂う真紅の焰が鎮まったかとおもうと、やがて、あの冷たい透き徹った不思議な焰がやって来た。飢餓の焰だ。

『火の唇』


道義的な事柄からは離れますが...

そこここに現れるイメージの閃きに、詩人としての天分を感じます。また、戦後の作品を系統的に通読していると、本当はこんなものを書きたかったわけではない...という、無言の叫びも聞こえてくるようです。
1905〜1951の生涯ですから、どうしても不穏な時代の感覚の中で生きておられたわけで、平和?な時代に暮らしている私などには想像しにくいのですが...
たぶん、(幻想性は不変で)もう少し観念的に、実存的に、ダダっぽく...だったのでしょうか...でも、奥さまloveが、彼をそこに止めてはいない気もしますし...。

戦争なんて、なかったらよかったのにね。

お前は知っていてくれるだろう。子供の僕がどのように烈しく美しいものに憧れたか。てんとう虫の翅の模様、桜桃の光沢、しゃぼん玉に映る虹、そんなものを見ただけで、僕の魂はいきなり遠いところへ彷徨って行った。僕の眼は美しい色彩にみとれ、頭の芯まで茫としていた。子供の僕には美の秘密につつまれた世界だけが堪らなかったのだ。(だから、僕がお前のなかに一番切実に見ようとしたのは、子供の時の郷愁だったかもしれない。)

『火の子供』



💎 夏には読めない『夏の花』


テレビをつけていると、季節に拠らず、正時しょうじの前、番組と番組の合間...に、ふと、ヒロシマが挟まれます。痛々しく涙しながら訴えかける老婦人。それはまるで《ひろしま》という集合意識によぎるフラッシュバックのよう。

縁あってそんな広島に生まれ育った私。
だからこそ、炎天の夏には(総毛立って)読めない原民喜さんを、季節のやわらかな春に、読み終えたいのです。

もうしばらく読み進めますが、一区切りついたら、しばらく読まないかもしれません。奇妙なほど親和性が高いから。(安眠したいし)

心の底のある場所に、原民喜さんの言葉が穏やかに寂しく居ずまいを定めるまで。

そのために、書いた詩です。

手向けるための一輪のお花として、あくまでも澄んだ面影を描けたようであれば...肩の荷を下ろせるような気がしています。

でも、もしかしたら、先日の《星のかがり火》のほうが、返歌なのかもしれません。
あちらには、現在の世界情勢や、私個人がいま書いている物語のエッセンスも(内心では)含まれています。比喩の多くは小説から引いてきました。
なので、現在のひまわり記事の代わりに、しばらくトップに置いておこうかなと思っています。
もちろん、ひまわりは引き続き身につけ、日々、心に留めながら。



💎 結びに...『悲歌』

この記事での引用は詩(散文詩含む)も多めにしました。結びに、友人らに宛てた17通の遺書のうち数通に同封されていたという「悲歌」を引いておきます。

濠端の柳にはや緑さしぐみ
雨靄につつまれて頬笑む空の下

水ははつきりと たたずまひ
私のなかに悲歌をもとめる

すべての別離がさりげなく とりかはされ
すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ
祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに

私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ
透明のなかに 永遠のかなたに

構成詩『魔のひととき』より「悲歌」




🌿 番外編|写真|シダレヤナギの芽吹き


『悲歌』で描かれたのは、川ではなく濠端...なので(東京かな?)、おそらくゆかりのシダレヤナギ(広島市中区橋本町)とは違うのでしょうけど、響きあっていたかもしれない...と夢見ながら、写真と動画を載せておきます。

※なお、原民喜さんが思春期の頃から一番好きだったのはお庭にあった楓のようで、それも生き延びて芽吹いたとの記述はありました(『火の踵』)。でもおそらく、京橋川より一本、道を入った辺りと思われるので、宅地開発で撤去されているのではと思います...。)

白いふわふわはお花なのだそうです。


新芽がかわいい♡
思わず握手してきましたよ。

光栄でした(違)


美人さんの優しい風情を"柳腰"と言ったりしますが、これは"自然さん"の耳元で揺れるピアスだと思う。


これは夕景。かなり川にせり出すように倒れていますね...
いつまでも元気でいてね。

↑ゆらゆらを撮りたくてiPhoneで。

ネットで、案内板設置の際の記事を見つけました。

考えてみれば、この案内板が設置されたのは、私が付近に住んでいた間のことで、そういえばある日急に気づいたのでした。

その頃は、こんなに熱心に読みふけるとは思わなかったなあ...被写体のお花を探してそぞろ歩きしていただけの人でした。


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