どれだけ物が溢れていても、ご自身でモノの量が多いかどうかの判断がつかない場合があります。 全てが必要なもので、全てが使えるものだと信じているから。 「必要・不必要」とか、「使える・使えない」とかでモノの処分の基準を決めても、なかなか捨てられない理由がここにあります。 私の実家にも、食器類が山のようにありました。田舎の一軒家ということもあり、昔の引き出物や記念品、贈答品など家のいたるところに箱のまましまい込んでありました。 食器棚の中にもびっしりと入っていたのはもちろんのこと
片付いていない部屋は物が多い これはほとんどのケースに共通します 何をしていいのかわからない、どこから手を付けていいのかわからないと途方に暮れている方も、大丈夫。まずは一日だけゴミを捨てる日を決めましょう。うまくいったら、今度はそれを一週間に伸ばしましょう。慣れてきたら、一か月やってみてください。 ゴミを捨てるだけでスッキリとした気持ちになると思います。 物を仕分けるときに「いる・いらない」「使う・使わない」で判断する場合が多いのですが、よほど壊れたりしていない限り、「い
多少散らかっていても家族が仲良く、居心地よくいい雰囲気なら何も困ることはないでしょう。ただ、片付かない「程度」は存在すると思います。 定員やキャパ、容量。それを超えてしまうと、どうなるでしょう。 容量を増やすか、手に負えなくなり放置するか、中身を減らすかしか方法がないように思われます。 「家」も「部屋」も「引き出し」も、全てその容量が決まっています。 容量を増やすことを選んだ人は、新たな家や収納部屋、家具などを購入したりレンタルしたりする必要があります。 中身を減らすこと
私たちはなぜ片付けたいと思うのでしょう。 それは、部屋が散らかっていることの不都合がわかりすぎるくらいわかっているからだと思います。 思いつくままに並べると、不潔、見た目が悪い、部屋が狭くなる、家事に時間がとられる、人を呼べない、くつろげない、物をどこにしまったかわからない・・・もっともっと出てくるかもしれません。 全て自分に影響を及ぼし、日々の生活の質を落とす原因になります。 そして何より、上記のことが日常になってしまうと、自分への印象も変わってしまうのです。 掃除が下手、
今はまだやる気になれない、やる気になってから始めよう・・・。 ご注意ください。実はこれ、大きな罠なんです。 とある塾のCMで有名になりましたよね。「やる気スイッチ」 あれを見て、「どこにあるの⁈」「自分にもほしい」「子供のスイッチを押したい!」と思った方は数知れず。 かくいう私も、子どもが思春期の頃、そのスイッチは押せずじまいでした。 やる気なんて本人のもので、いくら親と言えどもそのスイッチは探せません。それが理解できたのは、ずいぶん後のことでした。 やる気、難しいです
とりあえずゴミを捨てる、家の外に出すだけでも、かなりのスペースが空くことと思います。 散らかっている家はゴミ箱が多いと言いますが、ゴミ箱をたくさん置くのはお勧めできません。 第一の理由は、ゴミ出し前のゴミ集めが億劫になるからです。 ゴミ箱が多いのは、捨てるときに近くにある方が便利だからという理由でしょうが、捨てるときのことはなかなか頭に浮かばないものです。 きちんと名前のある家事だけでなく、この「名もなき家事」も手間を取る一因になります。 第二の理由は、空間を占領するから
さて、なぜ片付けたいのかが分かった時点で、あとはそれを解消するだけ。 ただ、できない理由は山ほどあります。 どこから手を付けていいかわからない、時間がない、やる気がでない、終わりが見えない、自分にはできそうもない・・・。 今回は、できない理由を可能な限り考えてみましょう。解決策が見つかるかもしれません。 まず、何から始めたらいいのかわからない場合。 収集日を確認し、各種ゴミ袋を買ってきて、ゴミを捨てましょう。 というと、いきなり断捨離⁉と構えてしまうかもしれませんが、
今、片付けの実践本の執筆中です。 と言っても、まだ目次案も悩んでいるところですが。 一言に片付けと言っても、個人により千差万別。 片付けの本は数えきれないほど出版されていて、女性誌や生活誌にも何度も特集が組まれるほど奥の深いものです。 それぞれ断捨離を勧めるもの、ラベリングや整理整頓を勧めるものなど様々な種類があり、どれが自分のタイプに合うのかわからなくなる人も。 自分に合わないことをしていると、余計に散らかったり、途中で投げ出したりしますし、またできなかった・・・と落ち
応接室を第二のリビングに変えたことは大成功でした。 ソファに座ると、窓からは庭と遠くの山が見え、解放的な気持ちになります。デッキの木陰でゆっくりすることもできます。 玄関に近いので、ここを来客用の部屋にしました。 と言っても、ほとんど来客のない我が家です。 しばらくは使われないままだったのですが、数か月後、 夫がその部屋にパソコンを持ち込みました テレビもありソファもあり、エアコンもあり、きっと快適だったのかもしれません。 そのうち、紙類、普段着る服、作業道具、趣味の物
「応接室」は玄関の横にありました。 昭和の家は、当時流行ったシャンデリアやマントルピース、応接セットなどを置く部屋があり、そこを「応接室」という来客用の部屋にしている家も多かったのです。 この家もマントルピースはなかったものの、応接セットの重厚なソファやテーブル、鳩時計など時が止まったようなものがそのまま置いてありました。 床は張り替えたそうなので大丈夫なのですが、壁は黄土色と言えばいいのか、もう拭いても取れない長年の汚れやシミでボロボロでした。 天井は二段天井で、和風の
今使っているダイニングテーブルは、4人掛けですが大き目のサイズ。 色は濃い茶いろ。落ち着くイメージにしたかったので、椅子は黒のどっしりタイプです。 ダイニングテーブルと言っても、食事をするだけではありません。 PCを使ったり、新聞を読んだり、動画を見たり、ぼーっとしたり。 さまざまなシーンで登場します。 私はダイニングテーブルの上は何も置きません。 それだけですっきり片付いて見えるからです。 食事が済んだら、食器や調味料はすべて下げて、洗ったりしまったりします。最後にテ
日々暮らしていると、不都合や見たくないものと向き合うことがあります たとえば、病院のような天井 長年の間に染み付いたにおい 傷だらけのタイル 貼り付けのカーペット べニアのドア などなど・・・ 昭和に建てられたこの家は、当時のアイデンティティのまま今の空間に存在しています。 建築デザインだけでなく、当時の生活の風習までもが思い起こされる仕様になっています。 一番いい部屋は日本庭園を眺められる、お座敷と次の間。 合わせて20畳ほどの広さがあるその部屋は、ぐるりと回り廊下に囲ま
自分たちで模様替えを行う前は、 キッチンの明かりはシンク上に2つと、天井に蛍光灯があるだけでした 天井付の蛍光灯は部屋全体を明るく照らすタイプ 事務所にあるタイプで電灯がむき出しでした。 白色の強い光は、明るくはなるけれども、どこか寒々しさを覚えました キッチンの床や壁のDIYが終わり、ダイニングテーブルなどの家具を置いてみたのですが、やはり蛍光灯をつけると何とも残念な気がしました。 出来上がったキッチンは、主に三つのスペースからできています ひとつは料理を作るシンク回り
何年か前、NHKで「猫のしっぽ カエルの手」という番組に出会いました ベニシア・スタンレー・スミスさんというイギリス人の女性が 京都大原に移住して 日々の生活や思いをつづる番組でした 彼女も人生においてたくさんの事柄が起こり 悩み、考えながら暮らしていました 番組制作側の意図もあるかもしれませんが それはとても素敵な生活に思えました ベニシアさんの言葉で心に残るものがあります 「人生は四季のようなもの どの季節も美しい」 「日々使うものに気を使う」 そのような意味だったと
梅雨が明けて一週間 空気の中から湿気がだいぶ抜けてきたような気がします どこにいてもまとわりつくような湿り気は 家の中のあらゆるものに湿り気を与えてしまいました 家は古く隙間もあいていることと思いますが 何しろ外の空気もむっとしている中で 梅雨の晴れ間に窓を開けても部屋の中が乾くわけもなく エアコンの除湿に頼る日々をすごしていたのでした 晴れ続きの午前中にキッチンの掃除をしようと意気込んで よくよく見ると 包丁差しに入れたままの使わない包丁の柄にカビが・・・ 出窓に置いて
雨の季節が終わり、やっと夏本番です じめじめした季節は家のあちこちにカビを発生させ、気持ちまでどんよりさせてしまいます。 雨は好きですが、家の中を思うと本当にうっとうしくなります。梅雨明けが待ち遠しいと思うものの、ここ近年の信じられない暑さでは、日差しを楽しめるどころではありません。 梅雨時期には庭に出れないので、ほとんど放置状態でした。伸びに伸びた草は、我が物顔で庭を占領しつつあります。でも、梅雨が明ければ暑さを理由に庭に出る気力もなくなります。 この家の庭は100坪ほ