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子どもへの影響
多少散らかっていても家族が仲良く、居心地よくいい雰囲気なら何も困ることはないでしょう。ただ、片付かない「程度」は存在すると思います。
定員やキャパ、容量。それを超えてしまうと、どうなるでしょう。
容量を増やすか、手に負えなくなり放置するか、中身を減らすかしか方法がないように思われます。
「家」も「部屋」も「引き出し」も、全てその容量が決まっています。
容量を増やすことを選んだ人は、新たな家や収納部屋、家具などを購入したりレンタルしたりする必要があります。
中身を減らすことを選んだ人は、不要なものを処分し、家具を処分し、容量にあわせた状態にします。
では、放置すると決めた人はどうなるのでしょう。常にオーバーフローの状態で、日々の暮らしをしていくしかないような気がします。
一人暮らしなら自分で決めたこと、それでいいと思います。
でも、もしそこに子どもがいたら。
私が子どもの頃、居心地はともかく、住んでいた家はそれほど散らかってはいませんでした。不要なものはあったと思いますが、生活スペースはきちんと分けられ、空間も確保されていました。
子どもですのでそれが普通の風景になっています。そのころは昭和に建てられた家の造りで、ほとんどの家が似たような風景でした。
今でも時折思い出す景色があります。小学生低学年の頃、友達のお姉ちゃんに連れられて、いくつか年上の子がいる近所の家に遊びに行く機会がありました。そこには驚くべき光景が広がっており、半世紀すぎた今でも鮮明に覚えています。
その家は離れのある大きなお屋敷でした。まだ新しいその家に一歩入った途端、変なにおいを感じました。玄関の廊下から足の踏み場がないほどモノが散乱し、床を歩くだけでもモノをまたいでいくありさま。どこもかしこも埃や汚れだらけでした。
飼っていた猫のせいなのか、和室の障子は破れ、柱も傷だらけ。
友達の部屋と思われる場所も同じような状況で、一番驚いたのはベッドの下になぜか食べかけのカレーが置いてあり、びっしりとカビのようなものが生えていたのです。
当時私が済んでいた家よりはるかに新しくて大きい家なのに、どうしてこんなに汚くなるのか。当時の私は不思議でたまりませんでした。
楽しく遊んだのかどうかなんて全く覚えていないのに、その光景だけは目に焼き付きました。
その子は、とてもおとなしく、ひっそりとしていました。私より年上なので、物心がついていたのかもしれません。
あの家の状態は、その子に何の影響も与えていなかったのでしょうか。
何も考えず無邪気に「げーっ」「きたなーい」などと言っている私たちの言葉に、深く傷ついていたことでしょう。
どうしてその家がそれほどまでになっていたのか不明ですが、子どもの力ではどうすることもできなかったでしょう。私と一緒で、それが普通だと思っているはずですから。
ただ、徐々に友人ができ、世界が広がると、自分の状況が見えてきます。
なぜうちはこうなんだろう?と、その子も考えたはずです。
ただ、小学生の子がそれを的確に親に伝えることなどできるでしょうか。
確実に言えることは、その子の親はその状態がわかっていたということ。
それから、「できない理由」により、片付けや掃除をしなかったということです。
その子に対する私の印象は、変わってしまいました。「汚い家の子」というイメージがついてしまったのです。一緒に遊びに行った友達も、「○○ちゃん家は汚い」と言っていました。とても残酷なことです。
家の状態、友達からの印象、自分ではどうすることもできない無力感は、その子の人生に色濃く影響を与えたことでしょう。
今でも、実家の近くにその家はあります。今はもう代替わりして、その子はそこにはいないそうです。
50年経って家の中はどうなっているんだろう?と気になると同時に、うつむいて静かに笑うその子の、50年の人生はどうだったのだろうと思わずにはいられないのです。