【杜甫は諸葛亮リスペクト】中国・唐代の三国志ファンは漢詩で語る!熱量が伝わる4つの詩
あなたは三国志が好きですか?
三国志のドラマを見たり、
小説や漫画を読んだりして
ストーリーや人物の感情に浸ることは
とても楽しいですよね。
私も夫の影響で三国志ファンになりました。
特に三国志に詳しい方は
YouTubeなどで解説動画を配信したり、
noteで小説を投稿したりしています。
夫が執筆しているこのマガジン。
袁術が異世界転生するという内容の小説です。
三国志を楽しんでいるのは、
現代に生きる私たちだけではありません。
1300年以上前の中国・唐の時代の人々も
三国志に登場する人物に憧れ、感情移入し、
思いを馳せています。
中国・唐の時代といえば、
三国時代から約1000年後です。
当時の人々の三国志に対する思いは、
現代と同じなのでしょうか?
この記事では3人の詩人と4つの漢詩から、
その答えを探っていきます。
⒈杜甫:蜀相
【書き下し文】
丞相の祠堂何れの処にか尋ねん
錦官城外栢森森
階に映ずる碧草は自ずから春色
葉を隔つる黄鸝は空しく好音
三顧頻煩なり天下の計
両朝開済す老臣の心
師を出だして未だに捷たざるに身先ず死し
長く英雄をして涙襟に満たしむ
【日本語訳】
丞相の祠堂はどこだろうかと探していたら
成都城外のヒノキの常緑樹が繁る場所にあった
階段の前にある青々とした植物は春に芽吹き
木々の間にとまるウグイスは空しくさえずる
三顧の恩に感じては
天下三分の計を授け
二代にわたり主君を助けては
困難に遭いながらも国を維持した
魏を討たんとして軍を出し
いまだ勝利を得ぬうちに
無念やその身は病に倒れ
永く後世の英雄に
痛恨の涙をそそがせる
【解説】
杜甫は諸葛亮の、
主君に対する忠誠心を慕っています。
杜甫は安禄山の乱で唐の王室が傾くなか、
もし今、諸葛亮のような人物が現れてくれたらと
思わずにはいられませんでした。
戦乱や生活苦が続くなか、
成都に住んでいた2年あまりが
わずかに平穏な時期でした。
***
国破れて山河ありの『春望』でも知られる杜甫。
この『蜀相』は、戦争直後の『春望』から
少し時間が経った頃の詩です。
杜甫は三国志ファンというより、生きるために、
心から諸葛亮という人物を
望んでいることがわかります。
三顧…三顧の礼
两朝…劉備と劉禅の二代の朝
出师…諸葛亮が北伐のため奉じた『出師表』
三国志に詳しい方なら、
詩中にあるこの文字を見ただけで
諸葛亮に関する内容だと気づくかもしれません。
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⒉杜甫:八阵图
【書き下し文】
功は葢う三分の国、名は成る八陣の図。
江流るるも石転せず、遺恨なり呉を呑むに失す。
【日本語訳】
功は三国の世に並びなく
名は八陣の図によって高い
長江の激流もこの石を転せず
惜しや当年呉を併合し得ざりしこと
【解説】
大暦元766年、杜甫が夔州(現在の重慶市あたり)
に来たときの作品。
杜甫が平素崇拝する、諸葛孔明が作ったという
八陣図の古跡がその近くにありました。
諸葛孔明があれだけの功がありながら、
ついに蜀は呉を併合できなかったことを
惜しんでいます。
***
八陣とは天・地・風・雲・飛竜・虎翼・蛇盤・鳥翔
の陣形のこと。
それぞれに隊列が決まっており、
効率よく守りや攻撃ができます。
私は三国志が好きですが、戦法には明るくないので
詳しい方がいれば教えていただきたいです。
詩中の「遗恨失吞吴」意味は諸説あります。
・呉を滅ぼして併合し得なかったことを悔やむ説
・劉備が諸葛亮の反対にも関わらず呉を討ったことを悔やむ説
諸葛亮はあれだけの知謀を持ちながら、
呉を併合することができませんでした。
この詩で杜甫は、そんな諸葛亮を
惜しむ気持ちを表現しています。
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⒊劉禹錫:蜀先主庙
【書き下し文】
天地英雄の気
千秋尚凛然たり
勢いは分かつ三足の鼎
業は復す五銖銭
相を得て能く国を開くも
児を生んで賢に象ず
淒涼たり蜀の故妓
来たり舞う魏宮の前
【日本語訳】
蜀の先主の廟に詣ずれば
天地を蔽う英雄の気は
千年後の今日まで
凛然として人に逼る
その威勢は天下を三分し
その攻業は漢の事業を復興した
諸葛亮を得て宰相とし
よく蜀漢の国を開いたが
惜しやその子劉禅は
父に及ばぬ不肖の子
はてはいたましくも蜀の歌妓が
魏の宮殿の前に来て
舞をまうに至ったとは
【解説】
蜀の先主・劉備の廟に謁し、
その生前、名宰諸葛亮を得て、魏、呉と並び
三国を鼎立し、よく漢の王業を回復した
功をたたえています。
しかし蜀の後主・劉禅は不肖の子であり、
ついにその業は後世に伝わらず
終えたことを悔やむ詩です。
五銖銭…漢の武帝が鋳させた銭のこと。
見事に漢を復興させたという意味。
***
劉禹錫は儒学者の家系に生まれます。
政治家としても活躍しましたが、
左遷などを経験し地位は安定しませんでした。
そんな劉禹錫は中山靖王・劉勝の末裔だと
自称しています。
中山靖王・劉勝といえば、劉備のご先祖様と
言われている人物ですよね。
詩からも発言からも、
劉備に憧れる様子がわかります。
ちなみに劉禅は暗愚だと言われますが、
私個人はそう思いません。
劉禅は諸葛亮に国のすべてを託しました。
お互いに信頼していたからこそできることです。
実際、劉備が防御し戦争で疲弊していた蜀を
5年足らずで北伐ができるまで回復させています。
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⒋杜牧:赤壁
【書き下し文】
折戟沙に沈んで鉄未だに消せず
自ずから磨洗を将て前朝を認む
東風周郎の与に便せずんば
銅雀春深うして二喬を鎖さん
【日本語訳】
砂に埋もれてもまだ錆びぬ
鉄戟の折れ
洗い磨けばまさしく三国の遺物
もしあの赤壁の戦いに
東風が周瑜に味方しなければ
喬公の二人の美女は
孫策と周瑜のものにはならず
銅雀台の春深く
曹操の思うままになったであろう
【解説】
赤壁の戦いにおいて、
数では圧倒的に不利だった呉軍。
しかし東風のおかげで火攻めに成功し、
曹操率いる魏軍相手に勝利をおさめた。
杜牧は赤壁の戦いがあった地を訪れ、
古びた戟を見つけました。
これは三国時代のものだと思い、
その戦いに思いを馳せる詩です。
二喬…大喬と小喬。二人とも美女。
銅雀…曹操が魏王に昇爵した際に造営した宮殿。
***
現代の私たちも、三国志のifを考えたりしますよね。
杜牧は、もし赤壁で曹操が勝っていたら…と
想像したことを『赤壁』という詩にしました。
まさに三国志ファン!
ですが、杜牧が戟を見つけた場所は
赤壁の戦いがあった場所とは
少し離れているようです。
読み上げ音声はこちらです↓
人々は三国志に憧れ続ける
いかがだったでしょうか?
杜甫は戦争を経験し、
「現代に救世主が現れて欲しい」という
切実な思いだったので【歴史を楽しむ】
という考え方とは少し違います。
ですが【諸葛亮に憧れる】という感覚は
理解できますよね。
三国志を知ったばかりの頃は、
諸葛亮に憧れを持つ人が
ほとんどではないでしょうか?
そしてもし今、自分が戦禍にいたら
杜甫と同じように諸葛亮を望むかもしれません。
劉禹錫は詩才がありながら、
時の権力者が変わるたびに
転勤や左遷を繰り返した人物でした。
そんな自分と、長い間領地を持たず、
諸侯のもとを転々とした劉備に
自分を重ねていたのかもしれません。
杜牧の詩は、おそらく私たちが思う
【三国志ファン】に一番近い形でしょう。
旅行先で史跡を訪れ、
悠久の歴史に想いを馳せる。
【赤壁】は今も昔も三国志を語る上で
外すことはできません。
さて、ここまで読んでいただければ
3人の詩人と4つの詩から、
三国志に対する熱量が伝わったと思います。
三国志に対する想いは、今も昔も変わりませんね。
今回は、唐代の【漢詩】という観点から
三国志を語りました。
あなたはどのように三国志を語りますか?
もしもこの記事を読んで、
漢詩に興味を持ってくださった方は
ぜひこちらも覗いてみてください。
応援したいと思ってくれたらうれしいです! これからも楽しく記事を書いていきます☆