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信心と週末①
こんにちは。
適応障害の疑いで休職し、転職活動をした結果無事再就職することができた40代のお話です。
我が家はとある山岳信仰を受け継いでおり、つまるところ神道です。
最近信心深くなってきました。うつ病や適応障害に限らず、何にせよ宗教って人の心を救ってくれる、ってのが良いことだと思います。
宗教観のはじまりの記憶
我が家は代々…と言っても祖父母より以前はどうだったのか知りませんが…とある山岳信仰を受け継いでいます。祖父母の葬式は神式でしたし、神棚はあっても仏壇は無いです。(母はキリスト系の学校を出ているので聖母像や小さな十字架はありました。)特に祖父が亡くなった際は山に行って、白装束を着た方々が大勢集まって山頂目指して登って行ったのをうっすら記憶しています。
その後も毎年お墓がある山に行き、時間があれば登山をして山頂でお参りをする、というのが小さな頃からの年中行事でした。
ついでに言うと実家は自営業で忙しく、お盆というものが無かったので世間一般のお盆の過ごし方というのはほとんどわかりません。
若い頃の旅の中で感じたこと
キリスト教
国内旅の中で教会に寝させてもらったことがあります。教会の裏手の公園で野宿をしようとしたら教会の方が声をかけてくれて、教会の中で寝させてもらいました。翌朝、出発前にご主人が私の背後に立ち、肩に手を置いて言葉をかけてくれました。内容は全く覚えていないのですが、とにかく言葉の力強さと勇気、守られている感覚があったことを覚えています。
数年後外国人の方とキリスト教と神道、仏教について話をしたことがあります。キリスト教にとって神はひとりで、彼は常にそばにいてくれる感覚なんだ、という話をしました。日本の八百万の神とはちょっと違う感覚のようです。
私にとってキリスト教は言葉が持つ力を自分や他人に分け与える宗教のように感じました。ひとりで挫けそうになった時や辛い時も、聖書の言葉が暗闇の先を小さく照らしてくれるような気がします。
仏教
四国にある88のお寺を巡るお遍路さんをやったことがあります。
もちろん仏教徒では無かったですが、いわゆる日本古来のロングトレイルが面白そうだったのでやってみました。各お寺では2回(2箇所で)、般若心経を唱えます。少なくとも合計176回般若心経を唱えるわけですが、そのうちわずか2回だけ、不思議な感覚を得たことがあります。お経を唱えていると頭の先から自分の感覚がにゅ〜〜っと伸びて本堂にある弘法大師像とつながるような感覚があったのです。(何言ってんの?ですが、そう言うしか無いのです。)
また、日々歩いていると感覚が敏感になり、音がよく聞こえるようにあったり、天気が予測できたりといった状態になります。これは昔の修験者にも似ています。お坊さんも修行の際はそう言った感覚が身につくのだと、これまで出会ったお坊さんは言っていました。
私にとって仏教は自然とつながり、自分を見つめ直す宗教のように感じました。日本の仏教は人々の願いを「聞いてくれる」宗教だと思っていて、言葉にすることで気持ちが整理されるし、もし叶った時にそれが小さなことでも幸せを感じることができる、気づける、そんな仕組みがあるように感じます。
では神道とは…?
神道を身近に感じた話はというと、実はありません。家族を通しての経験くらいで、旅やこれまで出会った方々の中では全くと言っていいほど神道に関する出来事はないんです。それくらい、神道の人っていないみたいです。
それに神道ってやもするとスピリチュアルで胡散臭い、なんて感じる人もいるのかもしれません。
この、スピリチュアルっぽい、の話にはなるのですが…
自転車旅を始めたばかりの頃膝に炎症が起こり、毎日40km程でギブアップする日が続いていました。四国へ渡り、土佐岬で出会った方がお遍路さんを相手に無料(お接待≒お布施)で施術する「気功マッサージ」の方で、触れずに気の流れを調整してくれたことがありました。
いやいや、触ってもないのに…と自分も半信半疑でしたが、翌日からすぐに100km走ることができ、しかもそれから痛みはほぼ無し!むしろ反対側の膝の方が今でも痛いくらい。
この出来事には自分でもびっくりでしたし、体験してしまった以上この世界を疑うこともできません。あの方が神道だったかどうかは知りませんが、その時「自分の身体に感謝をしなさい。」と言われたのがどこか心に残り、それ以降道でお地蔵様(←仏教系ですが。)を見かけた時や、立ち寄った神社では「ありがとう」を3回言うようになりました。
「これまでの道のりに」ありがとうございます
「今ここにいれることに」ありがとうございます
「これからの未来があることに」ありがとうございます
最近もこんな気持ちで唱えています。
神道は万物に宿る力を神に例えている宗教で、それは昔の人が理解できなかった自然の力(人にとっていいことも、悪いことも全て)のことを神の力と考えていたものだと思います。神の力のおかげで光があり、四季があり、実りがあり、子孫があり、自分がある。だから神道は感謝をする宗教で、それはいつも恐れ敬う対象であると考えています。仏教と違ってお願いをするんじゃないんですよね。
どこでだったか、唯一神道の神様(=伊勢神宮ですね。)にお願いをできるのは天皇家だけだと聞いたことがあります。それくらい我々庶民にとって神様は崇高な世界にいらっしゃる、ということなのでしょう。
…つづく…