小賢しい。
今どきブラウン管テレビか…
東大の教授の部屋、汚い、書物が重なるタワーのようで、倒れて来そう怖い。
ビクビクしていたら、
画面から、博士が言う。
この人を見なさい。
この女性は離婚をしました。
さて、キミはどう思う?
暫しインタビューされている声に耳を傾けていた。別れた理由をはっきりと言っているようで言っていない。【悪いのは全て相手で自分は全く悪くない】という所か。
どうでもいいじゃないですか?まして他人の夫婦喧嘩なんて聞きたくないし、そもそも、語りたい訳じゃなければ他者に話す必要がないじゃないですか?とわたしは教授に言った。
「いやいや、そこじゃないんだよ。見るべきは、"自分は悪くない"と深層で思っている心理の方だよ」
は?もう一度、巻き戻して再生してみる。
人間とは失敗から学べるタイプと、失敗を認めずに進むタイプと2つ存在するものだと知る。
突然、字幕が現れた。
昨今の【弱肉強食】は
弱いものほど黙らず
強いものほど黙る
あーなるほど。
教授が、こちらを振り返りながら穏やかに笑みを浮かべる。眼鏡の縁がキラッと輝く。
「分かったかな?さあ、キミはどちらを選ぶ?今は結婚してる立場だから関係ないと感じているかもしれないが、これは誰にでも起こり得ることなんだから」
踏まえていれば回避すら出来る場合もある
「若い頃は10:0だと思っていました。今は物事の結果には双方に原因があり、また、そのズレを補う為の、己を擁護する傾向が増すと感じます。【学ぶとは自己の未熟さを認めること】だと理解はしています。この女性の第一印象は強いけど芯がない。たぶんこのままでは不満が解消されず、かつ満たされることもないのだと思われます」
「ほう、ならばどうする?」教授が頷き眼を閉じる。
「わたしはこの人じゃないから、それ以上は知りません、知りたくないです。そして、この女性が自分が満たされない理由を自分で探すのが人生だから。他人は唯、話を聞くしか出来ないのじゃないですか?」
知り得ない、分からないことには沈黙を。
人間が取れる行動の最終形はこれに尽きるのかも知れない。
僕は文春を辞めて入り直した哲学科で学んだことの中で、いちばん大きな影響を受けたのがヴィトゲンシュタインの哲学です。彼が『 論理哲学論考 』の最後に書いています。
「語り得ぬものについては沈黙せねばならぬ」
死後の世界はまさに語り得ぬものです。それが語りたい対象であるのはたしかですが、沈黙しなければなりません。
死はこわくない/著者・立花隆