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福井、金沢、能登に行ってきた

兄から11/3に福井に行かないかと声をかけられたのはもう10月も下旬も過ぎた頃で旅行日まで10日を切っていた頃だったと思う。 絶賛恐竜ブーム中の甥との旅行として恐竜博物館に行こうとなり、相当遠方に住む私にも声がかかった。 この機会を逃したら恐らく福井にも恐竜博物館にももう縁がないだろうと踏み、ついでに自分の休みと重なったので兄たちと2日間旅行をした後は一人で行ったことのない場所に行ってみようと、福井、金沢と電車のチケットを取った。 福井に行ったことがある人はどれだけいる

    • 東京の今を通過して

      9月21~28日に東京に行っていました。 生まれた頃に住んでいた家に行って隣人に会ったり、仕事を与えてくれた人に会ったり年齢も職業もバラバラでどこまでも話し合った仲間たちとも会ってきました。 繋ぐものは繋ぎ、軽々しくなれるものにはなり、陣地を一歩踏み外すことをしていこうと常に思っていて、その思考をまた重なるのがいつも東京の旅だなと思います。 東京都美術館の田中一村展、森美術館のルイーズ・ブルジョワ展を見てきましたが、ただただ、数を重ねることの力、言いたいことのつきなさは命

      • 作品は勇気の痕跡だ

        なんのために来たという理由よりも、どんな理由であってもどこにでも移動できるということをいつも証明したいと思っているのかもしれない。 そうすればどこにいたって、無敵なんだ。 簡単な理由で移動し、少しだけ宙に浮きそうな時間を贈り物をすることで埋めることができた。 生まれ育った家に行き、14歳ぐらいまで隣に住んで三分の一は育ててもらったかもしれない人に会い、あの時のようにご飯を食べさせてもらい、ほこりが積もったピアノを弾いてきた。あの家にピアノがあった記憶はもうなかった。 以

        • これを結果とする

          東京周辺に来ている。来る日の朝に能登の雨の報道が流れて、痛む。こうも続いてしまうことに、どうしても悲しい。 移動をした途端に秋になり、ねだったように入った山に疲労を重ねさせたようにも思うけど、何度も熱唱された異国の流行り歌と、釣り上げられその場で焼きたてを食べたニジマスを結果とすることにした。ありがとう。 徒労で終わらせることしか出来なかった事情があり、発言は結局言い方で受け取られるばかりだった。そんな昔のあれこれを、同じく昔をともにした人と少しだけ話した。 今もあれこ

          ひとめもりだけ

          ありとあらゆる人が消えて、しがみつきたさを表する態度だけで判断されるということに今日もまた辿り着く。何度もやっと辿り着く。 もう交わされない言葉、もう同じ方向を向かない視線、君には声をかけないということが全て、儚いということなんだと思う。だって、今日は線香花火をしてしまった。 握り潰したつもりがないのに潰れてしまう。加減を知るにはまだ足りないのか、もうこれで足りるのかまだ分からず、呼ばれる、応じられることを、ひとにぎり。 ひとめもりの思いつきだけで動くことがせめてもの私

          ひとめもりだけ

          年末年始の境界から

          年を明けたという実感を未だ持てないぐらいに慌ただしく過ごし、人をもてなすやら迎えるやらの渦中にいて自分の生活に加えて他人の生活の一端を担うことをしていたので、年末年始の暇すら持てず、風邪にしようとする菌と身体の戦いを激しく感じながら発症すれすれにくぐり抜けて、体力の前借りを清算すべく、ようやく昨日一昨日と使い物にならないぐらいの眠りを頬張って、今になります。 ちょっとした赤子サイズの白菜を二玉ももらい、普通に鍋や、餃子のタネ、辰巳芳子ばりのスープを3度作ることで全て使い切り

          年末年始の境界から

          2024年の始めに

          年の始めの、晴れやかになるような、心が暖まるような時間であったろう頃に、未だ受け続けている苦しみと悲しみを思うと、息を失いそうになります。 早く暖かく、出来るだけ穏やかに過ごせることを、念頭に置いて、日々を過ごして、選んでいきたいと思います。

          2024年の始めに

          お返しに音楽を

          私が何者かということよりも、関わった人たちが私を彩ってきた人たちだとすれば自分というものはそれなりに鮮やかに過ごせているのだと思う。 ここ最近は道楽の限りを尽くしてやるという合言葉で景気づけて、作ることの傍に自分を置こうとしている。作れてさえいれば言葉なんて何でもいい。気づけば山も色づき、こちらの都合を待たずに熟れていく果実に恐怖を覚え、この手に余らせるよりも他人の手に渡す方法をとるようにしている。 互いの人生の、互いの仕事の、一端の中ですれ違った人が、我が家の果実を欲し

          お返しに音楽を

          髪を切った

          胸下まであった髪を30cm近く切った。 ロングからショートボブぐらいの長さになったので自分の目にも他人の目にも新鮮で、濡れた時の頭の小ささと、乾かす時の手ごたえと、癖毛をいじる指先が消えたことが楽しい。 私は毎回ロングまで伸ばして切ることを繰り返しているのでいつもこの短さのために伸ばしているような気すらする。どの長さの私も、私は気に入っているが、短いということが一番確立するような感覚はある。 他所で滅多にお目にかからないぐらい髪の厚みがあるので、多くの人が自分の髪の層に悩

          髪を切った

          ダンスをしている

          昔、植木屋を好きだった時期がある。 その植木屋からいちじくは虫がたくさん寄るから、なんなら他の木の虫除けのために植えることがあると教わった。 うちにある樹齢10年近いいちじくは、彼の言葉通り、甘い匂いに虫が寄る。大体がカミキリムシにやられているようだが、木に節が出来て穴が開き、茶色い木くずのようなものが幹から溢れ、いちじくの葉に盛られていく。よく見るとアリも集まっていて、どうも枝そのものがサトウキビのように甘いらしいと分かってきた。 そうすると、折れる。虫の住処になった枝

          ダンスをしている

          いつまでも遠い

          親指と人差し指で輪っかを作りその中に収まるぐらいに私の手首は細い。 そもそもの骨が細いのだけれど、重たいものを持つという機会から比較的遠く離れていたし、避けてすらいたのが、今は毎週のように軽い限界を超える日々を過ごしている。 いつまでも鈍重で、何も身につく気がしなければ、身に着けたいという気持ちにもならない。それでも何となくで最低限のことは続けていて毎週のように知らない装備を身に着け、確信の持てないまま点検をしている。 それでも良いのだろうかと問うて、まあいいのかと思い

          いつまでも遠い

          被災しました

          被災をしました。 何年も広げ続けた川幅を乗り越えてくる日がこんなに早く来るとは思っていませんでした。 雨そのものが激しく降るというよりも川から水が増しいくように見えました。田植えを終えたばかりの田んぼや川側の電柱は呑み込まれ、電柱が倒れる瞬間を初めて見ました。道路に溢れた水は滝のように流れていて、気づいたら辺り一面は濁った海のようでした。 家屋の浸水はしていません。何を被災と言っていいかわかりませんが今は土地が傷ついたことを被災と呼ぶことにします。無事ではありますが、無関

          被災しました

          今年の春

          一つの身体の衝撃というのはこわばらせるものだった。 春の盛りとともに泣いていた。 目覚めれば、 水を飲めば、 何かを食べれば 涙が出ていた。 何で泣いているのかそれから思い出した。 泣いていない時は、泣くことを忘れないように思い出したり より悪いことを想定して泣いていた。 泣く作業は一人で済ませた。 よく分からず夜を運転して 必要もない給油をした。 それから本を読もうとした。 結局まだ読み切れていない。 墓掃除はして、持ち慣れていない行き慣れていない山には行った。

          今年の春

          黄色い家

          雨の続く日々を過ごしていますが、いかがお過ごしですか? こちらは何度か四方八方から警報が鳴り響く時間を過ごして川の様子を確認しながら今はまだ雨音を楽しんでしまっています。 そういえば回文も作ってませんがそろそろ作っていっていいですね。作るとするなら多分もう放送しないでここでだけ作っていく気がします。 川上未映子さんの『黄色い家』を読み終わりました。ずっと読書するということをもっと近くに置きたいと思いながらページを繰れないということばかりを繰り返していたのでぽんぽんと読み

          黄色い家

          新年になりましたね

          新年、あけましておめでとうございます。 月並みな言葉を発せられる喜びを甘んじて受けたいと思います。 年末から兄家族が来ていて、様々な人の波が押し寄せるビッグウェーブを味わっていたのでようやく呆然とその波が引いて平常になっていくのを味わっているところです。 自分の声を広く出すということをひとまずやってみた昨年ではありましたが、自分にとって大事な優先順位を確かめる行為になったと思います。 stand.fmは引き続き実験の場として残すと思います。 昨年は濁りを取り除くことを

          新年になりましたね

          谷津賢二「荒野に希望の灯をともす」

          ※stand.fmで話した原稿をほぼそのままあげています。実際の放送はこちら。 谷津賢二「荒野に希望の灯をともす」について話します。今年公開し、現在でも各地域でロードショーとなっているドキュメンタリー映画です。 2019年にアフガニスタンで打たれて亡くなった医師、中村哲さんのドキュメンタリーです。 私が中村さんを知ったのは東京を離れた直後の5年前ぐらいで自分の母親からこういう凄い方がいるという話を聞いたり、自分の職場の本棚に中村哲さんの本があったりしていて、それでも亡く

          谷津賢二「荒野に希望の灯をともす」