福井、金沢、能登に行ってきた

兄から11/3に福井に行かないかと声をかけられたのはもう10月も下旬も過ぎた頃で旅行日まで10日を切っていた頃だったと思う。

絶賛恐竜ブーム中の甥との旅行として恐竜博物館に行こうとなり、相当遠方に住む私にも声がかかった。

この機会を逃したら恐らく福井にも恐竜博物館にももう縁がないだろうと踏み、ついでに自分の休みと重なったので兄たちと2日間旅行をした後は一人で行ったことのない場所に行ってみようと、福井、金沢と電車のチケットを取った。

福井に行ったことがある人はどれだけいるのだろう。北陸新幹線が止まるようになってからか駅全体が相当新しく、どこもかしこも恐竜を売りにしていたし、しっかりとそれに沸き立つ家族というのがあちらこちらにいた。

初日に永平寺、東尋坊と見た後に2日目に恐竜博物館に行き、ジュラシックパークさながらの動く実物大の恐竜がいるパークや恐竜モチーフの遊具がちりばめられた公園もあり、知的好奇心がそこまで貫かず、博物館そのものに飽きた時に体を動かしたり、目で楽しんだりする工夫もあり、物販はあれやこれやと恐竜グッズが並べられ、うちの甥に限らずキッズは皆楽しそうだった。

こんな場所に連れて来てもらえる子はどれだけ幸せなんだろうと思う。子どものレジャーは親の努力と言っている人がいたけれど、本当にその通りで、子どものことを願い、そうやって動くことが家族の幸せであるなんてどれだけ幸せなことなんだろうと、そうではない子どもたちのことが常によぎる。

うちの甥は見るたびにはっきりと成長があり、今のトレンドは縄跳びと秋山竜二らしく、朝起きては幼稚園に行く前に縄跳びを跳び、通園中の車の中では秋山竜二の「TOKAKUKA」を熱唱し、帰ったら工作をするか縄跳びを跳ぶかしているらしい。その成果か、あちこちをよじ登るようになり、自然と私の口から「筋肉ムキ男」という新しい二つ名が零れるようになった。

レンタカーの中でもずっと「TOKAKUKA」を流しながら歌っていた。彼のレパートリーは秋山竜二からYOASOBIの「アイドル」「U.S.A」「あずさ2号」「PLAYBACK PART2」、最近は「GANGNAM  STYLE」も熱唱していたので韓国語も歌うようになった。年代も国も幅広く、音感もかなりいい、毎回私の爆笑をさらっていき車の中で同じ曲をずっと歌い続けるので若干頭がおかしくなりそうになる。おかげで私も秋山竜二の動画を見るようになり村上隆と横に並んだ時の瓜二つ具合に腹をかかえるようになった。

「幼稚園で秋山通じる?」
「通じない」
だよね。いいぞ。

そうやって兄家族たちと家族旅行を満喫し、次の旅先として私一人で金沢に向かうことにした。

金沢はかなり外国人観光客が多く、旅行客の半分ぐらいは海外からなんじゃないかと思わせるほどだった。金沢に行って、金沢だけ巡るだけでも充実しそうだったけれど、正直ここまで来たら今の能登に行きたかった。

基本的に一人で旅行中は公共交通機関を頼るというか、レンタカーを借りたことがなかったけれど、もういっそのこと動き回るのであればレンタカーにしてしまおうと旅の勢いに後押しされることにした。

朝一番で、レンタカーの店が開くまで兼六園を見て回り、恐ろしく丁寧に掃除されている庭の中、まさに雪吊りの真っ最中で、一つのパフォーマンスを見る心地で見上げてきた。

そして、レンタカーに行く道すがら中国人観光客の人に英語で道を聞かれるも、そもそも私も観光客で分からないけどバス停はあれだと思うよみたいに答えた。お母さんと娘さんの親子連れだった。無事に旅を過ごせたことを祈る。

旅の醍醐味はある種の不安とそれを乗り越えることなんだろうと思う。大体旅をしているときは何かに必死なので、旅を行くまでに抱えている憂さのようなものが大体これで幾分か晴れる感覚がある。今回の私はレンタカーを借りて能登に行くという不安を携えることにした。

そもそも街中を運転するのが好きではないし、よく知らない車も運転するのが好きではない。知らないことそのものが怖いのだけれど、一方で怖いことに立ち向かっている感じに高揚する時があり、旅というのはその拍車があり、普段だったら立ち向かわない壁をなぜかどかんどかん突き当たる時がある。(そうはいっても治安が悪いところに行ったりはまずしない)

そうやってナビを頼りに金沢の街を抜け、少し観光地っぽいところも行きたいと思い、羽咋に行き氣田大社を見て、巌門を見て、ここは本当に崖の土地なんだなと思ったところで志賀原子力発電所が現れる。今は巌門はそれほど人が寄らない様子だったけれど、一応名所と謳っている近くに原発があることに驚いた。もうどこも連休を過ぎたこともあり、静かだった。

そうやって北上していくと次第に道が割れ、道の駅も開いていない状況になった。恐らく道の割れは1月の地震の影響で、北に向かえばよりその状況はひどくなり、輪島まで入るとまだ倒壊した家屋がそのままになっていた。
水害の跡と思われる流木が積みあがっていて、能登の方に入ると道全体が土砂を片付けた後で茶色くなっていた。相当に雨が降って土砂が積もったんだろう。

そうこうしているうちに山道の方に入り込んでしまい、しかも工事中でどこもかしこも片道走行でちょっと間違えたら落ちそうな道をぐいぐいと進んでしまった。そうはいっても工事をしている人たちは全力で工事中で、確かに復旧が遅れているのに政府や県の対応の遅れもあるのだろうけれど、そもそも崖で道が通りにくい場所なのだというのを実感できた。

どこに進んでいるのかよくわからない山道をずっと走り続けることにもう限界を覚えて能登の街中に出たところで能登島の方に向かうことにした。

ぐるりと回るとやはり南になるほど道は困難なことがほぼなく、羽咋、志賀町、七尾あたりはほぼ問題なく観光できそうな感じだった。能登島のツインブリッジはまだ通行止めで、能登島大橋の方から入っていけた。道の駅のとじまは休所になっていたが、併設しているガラス工房が開いていて、売店も開いてあるので見せてもらった。恐らくは地震の被害で相当減ってしまったのだろう点数は少なくても、職人さんたちは少しずつ作り続けているようだった。

少しでも買えるもの、買いたいものをということで、ガラスの指輪と塩を買った。ここ以外でもあちこち売店では私にしては相当に珍しく土産を買った。

あちこち仮設住宅も見た。仮設住宅の窓辺にぬいぐるみが置いてあるのが見えて、子どもがいることや、少しでも暮らしのゆとりが生みだされてほしいと願って置かれたことを想像した。

普段自分がおしゃべりが多い地域に住んでいることもあり、石川の人たちは全体的に物静かというか、不要な言葉をよその人間にかけたりすることが少ないようだった。私も何も尋ねられなかった。何も尋ねず足を踏み込み買えるものがあるときは買った。

そうやってまた2時間ぐらいかけて金沢に戻り、無事にレンタカーを返してきた。知らない土地を知らない車で走り、傷ついた土地を見て帰ってきた。
何ができたわけでもない。それでも行けて良かったと思う。

翌日は2時に新幹線に乗る予定だったので、土産を見たり昼食をゆっくりとることを考えたら見られる場所は行けて2か所だろうと思った結果、行ったのは石川県立図書館だった。

ほぼ情報を入れずに行った場所だったけれど、入り口に入った瞬間から声を上げてみてしまった。建築そのものも見事な図書館で、利用者じゃない私みたいな観光客も見に来ているようだったけれど、棚の作り方が素晴らしかった。

入り口になる中央は浅く広く興味を持てるようなライト層の棚になっていて、奥に行くほど専門性が高くなる仕組みだった。放射線状に広がっていくような棚の内容と机と椅子のバリエーションと数の多さ。特に椅子には惚れ惚れした。そして、子ども用のコーナーは屋内に遊具まであり、外の庭園も開放していて外でも本が読める仕様になっていて、子どもがかなり遊べる設計になっていた。日本の図書館の中でもトップクラスで素晴らしい図書館で、こんな図書館が自分の街にあったらずっと図書館に通ってしまうし、その街のことを好きになる図書館だった。(ちなみに他の地域だと佐賀の伊万里市民図書館、新潟の十日町情報館も素晴らしい)

本当は金沢21世紀美術館に行こうと思っていたがあまりに図書館がよすぎてもう図書館だけに浸ることにした。

その後、また土産を見て、2本の酒と塩、菓子を詰めてずっと持ち歩いていたら肩がおかしくなりそうな量を持って新幹線に乗って帰った。
冒険を、したと思う。

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