年末年始の境界から
年を明けたという実感を未だ持てないぐらいに慌ただしく過ごし、人をもてなすやら迎えるやらの渦中にいて自分の生活に加えて他人の生活の一端を担うことをしていたので、年末年始の暇すら持てず、風邪にしようとする菌と身体の戦いを激しく感じながら発症すれすれにくぐり抜けて、体力の前借りを清算すべく、ようやく昨日一昨日と使い物にならないぐらいの眠りを頬張って、今になります。
ちょっとした赤子サイズの白菜を二玉ももらい、普通に鍋や、餃子のタネ、辰巳芳子ばりのスープを3度作ることで全て使い切りました。白菜だけに留まりませんが、膨大な食材との戦いを果たしました。完全には救えませんでしたが、よくやったと思います。
こうやって自分が過ごした喧騒の有難さを思い知り、おめでとうとは心から言い難い年明けに悲しさを寄せます。少しずつでもより良い方に行動に出来たらと思います。
昨年を思えば、こんなにも徹底的に言葉から避難した年は未だかつてなかった気がします。代わりに刃を手にして、伐ることや研ぐということをしていました。
時間の流れが完全に変わる様が見られることと、何か一つの歯車を回し始めていることと、自分を引き換えにせずに頼れる場所があることが大きかったように思います。安堵の切れ端を得られました。
この逸れた時間は逸れた時間なりに貴重でしたし、うっすらと見えているものに踏み込むことができた最後の年だったように思います。何かを作り、分けることしかもう平和ではないのかもしれないと思いました。
こうやって書けばまだ足掻きたさはあるんだなという発見をするので、今年はもうちょっと足掻いてみようと思います。逃避はしましたが、孤高ではいられました。愚直と孤独を愛せますように。