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うつ病患者は世界をどうみているか

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うつ病になってからの気づき。ものの見方。あくまで個人の見解。
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#うつ病患者は世界をどうみているか

うつ病で休職するということ|休むのが苦手な人が休めと言われて困った話

休職という制度がうちの会社にあるとは知ってはいたが、まさか自分が利用することになるとは思わなかった。おかげで療養に専念することができている。 けれど最初に精神科に行ったとき「うつ病ですね〜、仕事は休みましょうね」と言われ「ややややや休む!? ななななにをしたらいいんです??」と戸惑ったことを覚えている。 ちゃんと休むって意外と難しい「なにをって……。とにかく休んでください。メールチェックとかもダメですからね」と言われたものの、それまで(思考力や効率は落ちていたが)社会人とし

うつ病の人への関わり方についてうつの私が思うこと

うつ病をかかえる人にどんな声かけや関わりができるか。患者の家族や知人は大いに戸惑いを覚えるだろう。うつ病患者である私自身、どういう関わりが適切なのか、こういうふうに接してほしいと言葉にすることはできなかった。しかし体調が落ち着いてきた今、一番つらかった頃を振り返って考えたことをここに紹介したい。 「励ましは禁物」これは基本。なぜなら……うつ病の治療には正解はない。副作用の少ない新しい抗うつ薬はあるものの、万人に効くわけではない。頑張って治療を受けても治るとは限らないのだ。

コロナうつ(?)になった私からの#ねえねえ尾身さん

私は約1年前、うつ病と診断された。時期的にいわゆるコロナうつなのかもしれない。第1回目の緊急事態宣言が明けてテレワークから出社勤務に戻り溜まっていた仕事を片付けていたさなか、急激な体調の悪化で初めて精神科に行き、うつ病と診断され、すぐに休職となった。 コロナうつなんて無縁だと思っていたちょうどその頃、コロナうつという言葉を耳にするようになった。同時期、HSP(Highly Sensitive Person)という言葉も初めて耳にした。テレビで報じられていたHSPのチェックに

うつ病というトンネルをさまよってみて

私は約1年前にうつ病の診断を受けた。 その前から何年も不調が続いていたが、診断を受ける数か月前から体調が急激に悪化した。しかし不調はいつものことだから慣れっこだったし、コロナ禍でみんな大変なのだからと、自分の状態の異常さに気づけなかった。病気だなんて微塵も思わなかった。 死にたい思いをかかえて毎日を生きていた。寝れば必ず悪夢。なんでもないことで涙があふれる。何を食べても美味しくない。というか食べない。 でも病気だと気づかず自分のせいだと、自分が弱いからだと思っていた。 と

“幸せ”だからってうつ病と無縁と思うなよ

憂鬱な気分は可逆だ。寝たりストレス発散したりしたら元気になれる。 けれどうつ病は不可逆だ。寛解する人もいるけれど。 ああ、戻れる位置に、戻れる時に。気づいて頼って休んでいたらなぁ……。 我慢してたつもりはなかったけれど……知識が足りなかった。 仕事は楽しかった。パートナーもいて、それなりのお金もあった。 絵に描いたような幸せ。そんなふうに、周りも自分も思っていた。 いや、自分は幸せなのだと思わねばと考えていた。 具合が悪くなっていっても休む発想がなかった。 仕事にストレ

疲れすぎて目覚めてしまった夜に

久しぶりの中途?早朝?覚醒。バッチバチに目覚めてしまった。 こんなにスッキリ起きたのはいつぶりだろうってくらい。 いつも朝はどんよりした気分なのに昨日はたくさん歩いたからきっとよく眠れたんだな、5時ごろかなぁと時計を見たらあらびっくり。まだこんな時間。 夜明けかと思うほどの月明かりに照らされる雲と輝く星。 寝るのはもう諦めてこの夜空を眺めることにしよう。 たまにはこういう日もあっていい、きっと。 疲れすぎて眠れない夜のために。そんな本があったなぁ。 いや眠れはしたんだけ

病気のカミングアウトについての考察

有名人が精神疾患であることを公表してニュースになることはしばしばだ。 一般人である私にとっても病気の公表というのは社会生活にそれなりの影響を及ぼす悩ましい問題である。 自分がうつ病であることのカミングアウトについて私なりの考えを述べようと思う。 私は「うつ病」という診断書を提出して休職している。したがって会社のお偉いさん方にはオープンになっている。ただしこれは個人情報であるから、他の社員には「◯◯さんはうつ病だ」とは明かされない。 理由は不明だが◯◯さんは休職しているとの事

Black Friday

金曜日の夕方は調子が悪い この1週間もダメな自分だったと振り返ってしまう 仕事を休んで曜日など関係ない暮らしをしてもう1年も経つのに 金曜日の夕方はいつも調子が悪い 頓服薬が効くまでここに気持ちを書き留めておこう 冷静になったときに振り返られるように ここは私の闘病記録だから きっと許してもらえるだろう 金曜日の夕方は思えばいつも調子が悪かった 終わらなかった仕事の山を見てげんなりして やる気を出せばすぐ終わるはずの仕事も先延ばしにして 結局終わらなかった ああ自分はなん

生き恥をさらして生きるということ

生きることはつらいことの連続である。 病気になること、不幸になること、それは努力とは関係のない運もあると思う。 私も生まれた環境を恨んだことが何度もある。もっと気楽な人生を歩める性格に育ちたかった。でもそうできない、人の顔色を伺って失敗を許されないような人生を歩んできた。 そして、うつ病になった。 でも、与えられた命だから、悪あがきをしてやろうと今は思うようにしている。 何ができるかわからないけれど、私という変な人がいた、ということを誰かの脳みそに刻みつけてやろう。そう

◯◯だからって私は私

性別という概念は生物の長い歴史からすると非常に短いあいだに進化したものである。生物学的にみると性別のない生物、性転換をする生物、両性の生物などのほうが多いくらいだ。 したがって、私にとっては性別(セクシャリティ)ましてや社会的性(ジェンダー)についてはどうでも良いこと。人間のセクシャリティやジェンダーという概念は生物全体からするとほんの些細なことだから。どういう形であれ、生きていることが大切なのである。 ただし現実の人間社会は性別が重視されていて、生きづらさを抱えている方もた

HSPとうつ病って関係あるの?

HSPとはHSP(Highly Sensitive Person:高敏感性をもつ人)という言葉を知っているだろうか? 私の記憶では日本でこの言葉が使われはじめたのはコロナ禍の第1波が落ち着いた2020年夏ごろであった。 1990年代からHSPの研究をしているエレイン・アーロンによれば、HSPとは全人口の15〜20%が生まれながらにして持つ特性であるという。 私はHSP。 たぶん。私は幼い頃から「おまえはなんて神経質なんだ」「頑固だ」「偏屈だ」と家族に言われて育った。物心つい

「生きる意味って何だろう」という究極の問いを、うつ病の生物オタクが数か月考えた

「生きる意味とは何だろう」「自分は価値のない人間だ」 多くのうつ病患者が一度は考えたことがある疑問だろう。いや、何度も何度も考えて、自分の存在価値を見失いかけてきたかもしれない。 私もその一人だ。 私なんて生きていても何の役にもたっていない。むしろ周りに迷惑をかけている。そう感じ消えたくなる日々を過ごしてきた。こんなに苦しい思いをするならいっそ死んでしまいたい。一時期は毎日のようにそう考えていた。 冒頭の問いに対し、この数か月で私が出した結論は下記の通りである。 生き

病名というラベルをつけられて

どんな病気でも病名の告知は難しい問題である。 正常な人間ってなんだ? どこからが病気なんだ? 正常と異常のはっきりとした線引きはできない。しかし、本人の生活をより良くするためにあえて病気というラベルをつけて治療をしている、と私はとらえている。 私の推し本『世界は分けてもわからない』(福岡伸一、講談社)を読むと、そういうことを考えさせられる。   ◯ 自分や周りが困ってなければ病名の告知はしなくていいのでは、と個人的には思う。例えば「うつ病」という病名を言われてショックを

3月11日のコト

2021年3月11日。天気は晴れ。私は日課の庭仕事をした。手慣れた手つきで草をむしってはいたが、いつもとは何か違う心持ちだった。10年前の「あの日」を思い出していたからだ。 いつも通りの静けさが何か特別な、ピンと張り詰めた静寂のように感じられた。 あの日から10年、パートナーと出会ってからももうすぐ10年になる。 当時私がいた場所は全く被害はなかった。しかし、パートナーはもし運が悪ければ……という地域にいた。情報が錯綜するなか、また余震も続くなか……。初めての都会での一人暮