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◯◯だからって私は私

性別という概念は生物の長い歴史からすると非常に短いあいだに進化したものである。生物学的にみると性別のない生物、性転換をする生物、両性の生物などのほうが多いくらいだ。
したがって、私にとっては性別(セクシャリティ)ましてや社会的性(ジェンダー)についてはどうでも良いこと。人間のセクシャリティやジェンダーという概念は生物全体からするとほんの些細なことだから。どういう形であれ、生きていることが大切なのである。
ただし現実の人間社会は性別が重視されていて、生きづらさを抱えている方もたくさんいらっしゃることも事実だ。

私が言いたいのは、男性/女性という括りは単なるラベルにすぎず、男性だから〇〇、女性のくせに〇〇という考え方を私は好まないということだ。
なお、性同一性障害は世界的な疾病分類(ICD-11)からは外された。つまり疾患ではないということだ。

これと同様に、うつ病だから〇〇という考え方も好まない。

つまり、私は私。その上に、性別とかうつ病患者だとかいろんなラベルが張りついているが、それは多くのラベルの一つでしかなく、どれも私という存在を決定づけるものではない。いろんなラベルをパズルのピースのように集めたところで私という人間を再現できるかというとそうではない。

私をラベルで見る人に私は心を開かない。鉄のように冷たい人間を演じる。
一方でナマの私を見てくれる人には、こってこての方言でぼやいたり、大笑いしたり大泣きしたりする。そうできる人がこの世に一人でもいれば、私の生きる意味があると思う。そういう人がいるからこそ私は生きていけるし、誰かにとってのそういう人でありたい。

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