3月11日のコト
2021年3月11日。天気は晴れ。私は日課の庭仕事をした。手慣れた手つきで草をむしってはいたが、いつもとは何か違う心持ちだった。10年前の「あの日」を思い出していたからだ。
いつも通りの静けさが何か特別な、ピンと張り詰めた静寂のように感じられた。
あの日から10年、パートナーと出会ってからももうすぐ10年になる。
当時私がいた場所は全く被害はなかった。しかし、パートナーはもし運が悪ければ……という地域にいた。情報が錯綜するなか、また余震も続くなか……。初めての都会での一人暮らしの不安と、大学に合格できた喜びが混ざり合った複雑な感情を今でもよく覚えている。
あの日は、私たち夫婦にとって特別な日だ。
この10年で日本人の価値観は大きく変化した。「絆」という言葉がキーワードとなった。目に見える「モノ」ではなく、目に見えない「コト」に価値を置く人が増えたようだ。
モノは失われるが、コトは失われない。そのことに否が応でも気づかされる強烈な体験を私たち日本人はしたのだ。高価なものの所有よりも、体験を重視したお金の使い方やシェアという考え方が一挙に広まった10年であった。
昨今のコロナ禍で再びパラダイムシフトが起きようとしている。今度は日本だけでなく世界中で。物質的な価値はいつ失われるかわからない。これまで当たり前だった生活のありがたさと目に見えないウイルスへの恐怖を人類は今、身をもって体験している。
どんな未来が待っているかは誰にもわからない。お金の価値すらいつ暴落してもおかしくない。けれど非物質的な価値ーーコトの価値ーーは失われることなく心の中に持ち続けることができる。
心に何か大切なコトをもっておく。それが未来を生きのびる上で必要ではなかろうか。
◯
私たちうつ病患者は自分の心と向き合うことに、きっと他の人よりも多くの時間を費やしてきただろう。自分の心と向き合うことは苦しい。自分の存在価値すら見失ってしまいそうになる。けれどそういう経験をしてきたからこそ、これからの世に何らかの貢献ができるとも思う。
生きている素晴らしさと苦しさを私たちは知っているから。人の痛みを分かち合うことができるから。
私という存在が今日という一日を生きのびることで、もしかしたら未来がほんの少しでも良い方向に動くかもしれない。苦しくて寂しくて生きるのをやめたくなったとしても、やっぱり与えられた生命だから。あの日、無惨にも失われた多くの生命のためにも。
生きているコトが一番に大切だと私は思う。
(2021年3月11日の日記より)