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私の顔には傷跡があります。はっきりと認識できるものですが、普段はまったく気に留めていません。でも、先日鏡を見ていた時にふと目に入り、少しの間、その事を考えていました。 それは、中学校の放課後、教室で友だちと遊んでいた時にできたものです。走り回っているうちに、友だちが思わず私の背中を押したので、バランスを失った私は倒れてしまいました。その際、机の角に眉毛のあたりを思いっきりぶつけ、二針ほど縫ったのですが、目に当たらなかったことが幸いです。 私は鏡を見ながら、「イエス・キリス
人生、思い通りにならないことは度々あります。「苦しい時の神頼み」で、普段は信仰心を持たなくても、そんな時だけ神にすがるという人もいることでしょう。 英語では、「好天時だけの信仰(fair-weather faith)」という言葉があり、それは、天気の良い時、つまり、物事がうまく行っている時だけ立派な信仰があるように見えるけれど、うまく行かなくなった途端に信仰が揺らいでしまうことを言います。 本当の信仰は苦しい時にも楽しい時にも神に頼り、天気の良い日にも悪い日にも神を信じる
先月の末(2024年4月28日)、詩画作家の星野富弘さんが、呼吸不全のため天国へ旅立たれました。 星野さんをご存じない方のために、星野富弘美術館(熊本県芦北町)のウェブサイトにあるプロフィールを引用させていただきます。 星野さんの故郷である群馬県みどり市にも姉妹館である富弘美術館があり、そちらのウェブサイトには、こんな説明がありました。 私もこの美術館へ行って、星野さんの作品に触れ、感動と励ましをいただいた一人です。4年前に、詩の一つを紹介するメッセージを書きましたが(
今年のイースター(復活祭)の頃に私がよく聴いていた曲の一つに、『Because He Lives(主が生きておられるから)』という賛美歌があります。日本語では、『主は今生きておられる』、『み子イエス世人のため』、『私をゆるすために』などの題名で訳されています。 この賛美歌は少しユニークで、イエスの復活を歌っているけれど、2番の歌詞が親子についてのものになっています。ほとんどの日本語訳では省かれているのですが、実は、この賛美歌で最初に書かれたのは、この部分でした。 簡単に翻
メリー・クリスマス! 今年のクリスマス・シーズン、皆さんはどうお過ごしだったでしょうか。 イエスの誕生物語(ルカ1~2章とマタイ1章)には多くの人物が登場します。この時期になると、私はそれぞれの人にとって、イエスの誕生はどのように見えたのだろうと考えるのですが、今年は、特にシメオンのことをよく考えていました。 シメオンは祭司や律法学者や議員のような有力者ではなく、ごく普通の人でした。しかも、けっこうの老人のようです。ただ、神とのつながりが強く、神の聖霊の導きにゆだねていた
何か思いがけないことが起こると、私たちは戸惑うし、それが良くないことをもたらすのではないかと不安や恐れを抱くこともありますよね。 「最初のクリスマス」であるイエス・キリストの誕生に関わる記述(ルカ1~2章とマタイ1章)では、天使が4組の登場人物に現れて、「恐れるな」と告げています。 ▶ ザカリア: 祭司のザカリアは、神殿で務めをしていた時に天使が現れたので戸惑い、恐怖の念に襲われました。おそらく、いきなり天使が部屋の中に出現したら、誰でも怖いと感じることでしょう。 天使
逆境を乗り越えることについては、よく雑草が例に出されます。一口に雑草と言っても、みな名前があり、それぞれの強みを活かして逆境に立ち向かっています。 しなやかさという強さ最近、朝ドラでも話が出ましたが、オオバコが踏まれても大丈夫なのは、葉の外側が柔らかく、内側には硬い筋(葉脈)が通っていることによって、適度な「しなやかさ」があるからだそうです。 私たちも、周りからのダメージをうまく受け流すしなやかさを持ち、内には神への堅い信仰を保つことで、何度踏まれたとしても、そのたびに回
「生まれ変わったら、どんな身体になりたいか」という、アンケート結果をまとめた記事を読んだことがあります。 スタイルがいい、脚がきれい、立派な筋肉、ハリのある肌など、それぞれの回答者が思い描く、完璧な「理想のボディ」がリストアップされていました。当然ながら、傷のある身体が欲しいという人は一人もいません。 さて、イエス・キリストが復活された時、それは単に息を吹き返したわけではなく、もはや死ぬことのない、新しい身体に変わっていたので、すべてを完璧な状態にすることもできたでしょう
「神に見捨てられた」と感じることはあるでしょうか。辛いことが続き、神がいつまでたっても祈りに答えて助けてくださらないように思える時です。 最近、何人かの知人が大変辛い時期にあることを耳にしました。「神に見捨てられた」とまでいかなくても、かなり苦しく感じているのは確かだと思います。 「あなたの傷は海のように大きい。だれがあなたをいやすことができよう」という言葉が旧約聖書の哀歌にありますが(2:13)、神にはその力があるので、それぞれの人生に触れて癒やしてくださるよう祈るばか
昨日からアドベント(待降節)が始まりました。昨年も書きましたが、アドベントと言えば、私は「闇を照らす光」を想います。 夜の闇に包まれたとしても、やがて朝日が昇るように、深い絶望にあっても、「義の太陽」「すべての人を照すまことの光」と呼ばれるイエス・キリストが私たちを照らしに来てくださいます。(マラキ4:2、ヨハネ1:9) 闇の中でこそわかる光のありがたさ私たちは光があって当たり前だと考えますが、世界はそもそも闇と混沌の状態で始まりました。 それはどれほど荘厳な光景だった
人生は楽しいことばかりじゃないと分かってはいても、苦しい闘いが長らく続くと、あきらめたくもなります。 それでも、その闘いが、心から愛する誰かを助けるためである時、あきらめずに進み続ける力が与えられるようです。 愛する娘が行方不明に中学1年生だった横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて、明日(11月15日)で45年になります。 しかし、母親の早紀江さんは、愛する娘さんが帰ってくることを信じて、今もあきらめずに祈り続け、活動を続けています。 早紀江さんの手記『愛は、あきらめな
先日紹介した『歓びのうた、祈りのこころ』という本に、19世紀のイギリスの詩人クリスティーナ・ロセッティの詩も掲載されています。 ロセッティは、西條八十によって訳されて童謡にもなった『風』という詩(誰が風を見たでしょう)の原作者です。 宮崎駿監督のジブリ映画『風立ちぬ』で、主人公によって『風』の一節が朗読されているので、覚えている方もいるかも知れません。 『歓びのうた、祈りのこころ』に載っているのは、『丘をのぼって』(上り坂)という詩で、旅人と案内人との応答の形式になって
忍耐には様々な形があり、たとえば、他の人の過ちなどについて寛容であること(コロサイ3:13)もそうだし、困難な状況において諦めずに生き続けることもそうです。今回は、後者について、私の好きな聖書の言葉を紹介します。 忍耐は必ずしも一番大切なものではなく、我慢せずに声を上げたり、物事を変えようとしたりすべき時もありますが、ここでお話するのは「粘り強さ」「諦めずにがんばる」「最後までやりとおす」といったポジティブな忍耐についてです。 苦しみを通して忍耐を学ぶ忍耐で有名なヨブでさ
私は、夕方の空を眺めるのが大好きです。 美しいグラデーションとともに、次から次へと色を変えていく空を見ると、神は何て素晴らしい芸術センスをお持ちなのだろうと感動します。 天地創造と夕夕方が聖書で最初に出てくるのは、天地創造の場面です。 創造がなされた6日間、つまり6回、「夕となり、また朝となった」という言葉が繰り返されています。 その日が終わったことを表現するだけなら「夕となった」だけでも良いような気もしますが、「夕となり、また朝となった」とあるので、暗くなってすべて