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のぼり坂
先日紹介した『歓びのうた、祈りのこころ』という本に、19世紀のイギリスの詩人クリスティーナ・ロセッティの詩も掲載されています。
ロセッティは、西條八十によって訳されて童謡にもなった『風』という詩(誰が風を見たでしょう)の原作者です。
宮崎駿監督のジブリ映画『風立ちぬ』で、主人公によって『風』の一節が朗読されているので、覚えている方もいるかも知れません。
『歓びのうた、祈りのこころ』に載っているのは、『丘をのぼって』(上り坂)という詩で、旅人と案内人との応答の形式になっています。
『丘をのぼって』
この道は、ずっと曲がったのぼり坂なの?
そうだよ、登りおわるまではね。
旅は日がな一日かかるのかしら?
そう、朝から夜までだね。
だけど、夜になったら泊まる所はあるの?
暗くなる頃には、一軒家がね。
でも暗闇が、すっぽり隠しているかも知れないわ。
だいじょうぶ、きっとその宿は見付かるから。
夜でも、道ゆく他の人に会えるのかしら?
先に行った人たちにきっと会うだろうよ。
それから戸を叩くか、見えたら大声で呼ぶの?
待たされることはないよ、戸口に立てば。
旅に疲れて弱ったわたしを、休ませてくれるかしら?
そうとも、旅の苦労には報いがあるんだ。
わたしにも他の人にも、みんなが探す寝床はあるの?
むろんだよ、そこにやって来るどの一人にも。
この案内人は、人生の旅路は上り坂であり、苦労も多いけれど、その最後には休息を得るための家(天国)と報いとが待っていると、私たち旅人を励ましているようです。
ずっと上り坂と言っても、なだらかな上りの時だってありますが、たった今、普段よりもきつい上り坂を登っているように感じている方もいることでしょう。
でも、案内人の言葉は、どんな上り坂も「登りおわるまで」、そして、どんな一日の旅も「朝から夜まで」であり、必ず終りが来るということでもあります。
旅人は、上り坂に疲れてしまい、これから先のことをあれこれ心配しています。でも、まだ起きていないことについてそんなに心配していたら、今日必要な力までも吸い取られてしまいそうです。
案内人は、先に何があるかをすでに知っているので、旅人を安心させようとしています。
この翻訳では抜けていますが、案内人は旅人を「わが友」と呼んでおり、私は、友であり人生の導き手であるイエスが私の隣を歩きながら、質問に答えているところを想像しながら読みました。
私たちより先にこの人生の上り坂を登り終え、天の家に行って私たちの居場所を用意してくださったイエスは、私たちもそこに到着するまであきらめずに登り切るよう励ましています。
私たちの旅路の導き手となり、心を騒がせる必要はないよと励まし、私たちが苦しんでいる時にはそれを理解し、最も近い友として、最後まで一緒に進んでくださるのです。
イエスと共に上り坂を登り切った時、そこにはどんなに素晴らしい光景が広がっていることでしょう。
◆ ◆ ◆
わたしはあなたがたを友と呼んだ。
主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。
わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。
あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。