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思い通りに行かない時に読みたい聖書の言葉
人生、思い通りにならないことは度々あります。「苦しい時の神頼み」で、普段は信仰心を持たなくても、そんな時だけ神にすがるという人もいることでしょう。
英語では、「好天時だけの信仰(fair-weather faith)」という言葉があり、それは、天気の良い時、つまり、物事がうまく行っている時だけ立派な信仰があるように見えるけれど、うまく行かなくなった途端に信仰が揺らいでしまうことを言います。
本当の信仰は苦しい時にも楽しい時にも神に頼り、天気の良い日にも悪い日にも神を信じるのですが、やはり物事が思い通りに行っていない時にはそれが難しいことがあるので、今回はそんな時に思い出したい聖書の言葉を紹介します。
泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
思い通りに行かない時に落胆したり悲しんだりするのは普通なので、そのような感情を否定する必要はありません。泣きたい時には泣きましょう。
ただ、大きな災を経験して悲しみの内にあったヨブと妻の次の会話から、感情と信仰は別のものであるということを知っていただきたいのです。
時にその妻は彼に言った、「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい」。しかしヨブは彼女に言った、「・・われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」。
ヨブの信仰は「好天時だけの信仰」ではなく、悪天の時にも感情によって揺さぶられることはありませんでした。
人々の堕落に心を痛めていた預言者ハバククも、悲惨な状況を説明した上で、次のように語っています。
しかし、わたしは主によって楽しみ、わが救の神によって喜ぶ。主なる神はわたしの力であって、わたしの足を雌じかの足のようにし、わたしに高い所を歩ませられる。
感情は状況に対する反応ですが、信仰は神(神の性質や約束)に対する反応だということがわかります。
自分の計画通りに事が進まないと、がっかりするかもしれませんが、神ご自身が私たちのために希望の計画を持っておられます。
主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。
神は、私たちよりもはるかに高いところから時間と空間を超えて物事を見ておられるので、私たちのために最善の計画を立てることができるのです。
わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。
もし何でも私たちの思い通りに行くなら、悪い方向に進んでしまうこともあります。物事がうまく行かない時、私たちがそれをきっかけとして心の耳を開くなら、何か大切なことが示されるかもしれません。
神は苦しむ者をその苦しみによって救い、 彼らの耳を逆境によって開かれる。
逆境は、多くの成功者にとってそうであったように、忍耐を学ぶチャンスでもあります。
わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。
物事が思い通りに行かなかったり、思いがけない逆境に出会ったりして苦しい時には、神もあなたと一緒に苦しんでおられると覚えていてください。
彼らが苦しむときはいつでも、主も苦しまれた。
そして、神は、そのような経験も最終的には益をもたらすようにしてくださいます。
神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者のためには、万事が共に働いて益となるということを、私たちは知っています。
自分の思い通りに行かないことがあっても、その経験から多くのことを学び、豊かな人生を生きた人の例は、聖書にたくさん記されていますので、そのような登場人物のことを思い出すことは、愛の神に信頼する助けとなります。
兄弟たちよ。苦しみを耐え忍ぶことについては、主の御名によって語った預言者たちを模範にするがよい。忍び抜いた人たちはさいわいであると、わたしたちは思う。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いている。また、主が彼になさったことの結末を見て、主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである。