朝読書に泣ける本をセレクト!
よろこびや哀しみは、ときどき涙に変わります。
まっすぐな感情は心のままで、だから、涙の色はうつくしいのだと思います。
けれど、怒りの感情は涙にしないほうがいいのかなって、気がします。
そこに、うつくしさは見つからないから。
大切なのは、怒りのひとつ前にある、自分の心を見つめること。
愛しているから、裏切られるとくやしい。
大切に思うのに、気持ちが伝わらなくて淋しい。
怒りの前にあるのは、いつだって、大事な人を、大切ものを、真摯に「想う」気持ちなのでしょう。
そんな気持ちを先にもってきて、そうして流した涙は、心をきれいにしてくれるはずです。
涙のあとの心の色は、きっと違うものになるはず。
できれば、うつくしく、泣ける人に、なろうと思います。
そして、たまには、涙でココロのデトックスも、必要ですね(^^)
「リンさんの小さな子」クローデル,フィリップ(著)高橋啓(訳)
高橋源一郎さんが以前、「今年いちばん泣ける本」に押していたので買ってみた本なのですが、リンさんが純粋すぎるくらい純粋で、逆に悲しくなる程でした。
泣けて仕方なかったですね。
ストーリーは・・・・・・
長く戦争の続く、とあるアジアの村に住んでいた老人、リンさん。
ある朝、息子夫婦が生まれたばかりの赤ん坊を連れて田圃(たんぼ)に出かけた。
そしてそのまま、夜になっても帰らなかった。
探しにいった老人の目にうつったのは、水浸しの大きな穴と化した田圃と、そのかたわらにある腹をえぐられた水牛の死体、息子の遺体、その妻の遺体。
赤ん坊だけが無傷のまま産着にくるまれ、目をぱっちりと開いていた。
すぐ横には、赤ん坊と同じくらいの大きさの、首を爆弾で飛ばされた人形がころがっていた。
リンさんはフランスの港町とおぼしき町へ船で運ばれ、難民宿舎に収容される。
リンさんはいつも赤ん坊をその腕に抱いている。
しずかな赤ん坊だ。
食もほそい。
リンさんはただ、赤ん坊のためだけに生きているようにみえる。
かたときも、赤ん坊を胸元からおろそうとしない。
港町の小さな遊園地の端で、リンさんはバルクという男に会う。
遊園地の回転木馬の係だった妻を最近亡くし、一人ぼっちになった男だ。
孤独な二人の心は、やがて少しずつ通ってゆく。
バルクはリンさんの母国語を知らない。
リンさんの方もまた。
けれど言葉は通じなくとも、名を知らなくとも、二人の心は時がたつにつれて、しずかに寄り添いあってゆく。
バルクはリンさんをレストランに招待する。
赤ん坊には、美しいドレスをプレゼントする。
リンさんはお礼に歌をうたう。
故郷のなつかしい子守歌を・・・・・・
人は人と魂でつながっているのだということを教えてくれる物語です。
人が人として生きて行く上で必要なのは、生理的な欲求を満足させるものだけではなく、精神的な欲求を満たす何かなのでしょうね。
その「何か」は人それぞれに違うものなのだと思うのですが、一言でまとめてしまえば他者との関係性なのかもしれません。
この作品では、リンさんというひとりの難民の生活を通して、人として生きるためにほんとうに大切なことは何かということが語られていると思います。
尤も、物語がシンプルなので、読者がそれぞれに抱えている知性や経験によって、さまざなまものを読み取ることができるのですが・・・・・・
最後には、アッと驚くような結末を迎えます。
物語は、無駄のない短い文章で淡々と語られ、それがリリシズムをいやがうえにも高めていきます。
ぐんぐん引き込まれ、心を鷲づかみにされ、涙がとまりません。
この本は、美しい故郷や愛しい家族を失ったすべての人たちの物語です。
人は、言葉が分からなくても、習慣が違っても、魂でつながれるのだということ、そして、魂でつながることで、傷が癒されるのだということを、リンさんとバルクさんが教えてくれているのです。
ただ、もしもこれからの人生で、たった一つの言葉しか、話せなくなるとしたら、どんな言葉を選ぶだろうか?っと、考えさせられました。
「ありがとう」や「こんにちは」みたいな挨拶の言葉かなぁ~なんて、思ったり。
【参考記事】
ごめんねとありがとう
https://note.com/bax36410/n/n389d9b2c6b2e?magazine_key=m3846a466462f
何度となく口にし、耳にしてきたこの当たり前?の言葉たちが、この本を読んだ後、喩えようもないくらいの輝きをもって聞こえてくるから、不思議ですね。
この本の最初に献辞があります。
「 この世のすべてのリンさんと その小さな子に捧げる 」
この献辞が、この本のすべてを語っているように思いました(^^)