まずは言葉から
フランシス・ベーコンは、「われわれは自分の言葉を統御していると考えているが、しかし、われわれが言葉によって支配され統御されているのである。」と言っています。
私達は普段何気なくいろいろな言葉を発していますが、自分が口にした言葉が、実は自分自身の精神の形成に重大な影響を及ぼす、という事実を覚えておく必要があります。
すなわち、弱音を吐けば気持ちが弱くなり、下劣な言葉を発すれば精神が毒される。
逆に、前向きな言葉を言い続ければ自然と気持ちが前向きになり、喜びの言葉を口にすれば心が喜びで満たされる。
また、長田弘さんも『読書からはじまる』中で、次の様に語っておられました。
「読書からはじまる」長田弘(著)(ちくま文庫)
言葉のゆたかさというのは、たくさんの言いまわしをあれこれ揃えることではないのでしょうねぇ。
美辞麗句は言葉のゆたかさを意味しないのです。
そうでなく、むしろ限られた言葉にどれだけ自分をゆたかに込められるかが、言葉にとっては重要なのでしょうね。
言葉のなかに生まれるというのは、「初めに言があった」という、新約聖書の「ヨハネによる福音書」の冒頭の有名な一行を引いて言えば、人間より先に言葉がある、ということです。
人間が言葉をつくるのではありません。
言葉のなかに生まれて、言葉のなかに育ってゆくのが人間です。
言葉の貧しい人は貧しい、言葉をゆたかにできる人はゆたかだということを、忘れないようにしたいですね^^;
そうでないと、わたしたちは自分たちの頭を、自分たちが信じてもいない言葉のがらくたで一杯にしてしまいかねないからです。
自分が選びとった言葉のなかに、じつは選びとられるのが自分なのです。
言葉を覚えるというのは、この世で自分は一人ではないと知るということです。
言葉というのはつながりだから・・・・・・
自分にとってもっとも必要な言葉は、「言葉」だけを漁っても、たぶん見つけられないでしょう。
見つけなければならないのは、「必要」です。
その言葉によって、自分で自分を確かめ、確かにしてゆく言葉。
経験を言い表すことができる、あるいはとどめることができるのが言葉ですが、言葉にするというのは、問いに対して、正しい答えを出すということとは違い、正しい答えをこしらえることではなくて、自分について自分で、よい問いをつくるということです。
正しく問いを受けとめないで、正しい答えを探すから、わたしたちは過つのでしょうねぇ。
だから、すべて読書からはじまるのだと思います。
本を読むことが、読書なのではありません。
自分の心のなかに失いたくない言葉の蓄え場所をつくりだすのが、読書なんでしょうね(^^)
自分の心は、美しく、強く、明るい状態に保っていきたいものですね(^^)
まずは言葉から・・・・・・
そして、読書からはじめてみませんか?
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