一度読んだ本、再読する派ですか?しない派ですか?
みなさんは、一度読んだ本、再読する派ですか?しない派ですか?
勉強本とか絵本とかマンガは、再読する派ですが、その他の各種の小説等は、しない派でした。
ところが、今、森博嗣さんの「すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER」を再読中です。
読書に対する”価値観”や本との”距離感”は本当に人それぞれなのだけれど、再読しない派の私の再読しない主な理由が「一度読んで内容を知っているわけだから、二度も読む必要がない。」でしたね^^;
では、なぜ再読する派の方は、再読をするのか?
そこで、自分なにり再読をした理由や感じているメリットやデメリットを考えてみると、再読とは、そもそも再読とは、一度読んだ本をもう一度読み返すことです。
再読のメリットとしては、あたらしい気づきがある、知識が定着する、同じ本でも違う感じ方ができる等でしょうか?
では、再読のデメリットは何か?と考えてみると、新しい本を読む時間が減るや新鮮味がなくなるかな?
するしないは人それぞれ自由ですが、自分がとても好きな本を読み返してみようかなって思い立ったので、早速、「すべてがFになる」を2022年10月から再読中です(^^)
「すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER」(講談社文庫)森博嗣(著)
テレビやYouTubeでもおなじみの知識集団「QuizKnock」のメンバーが選んだ講談社文庫を「ようこそ!QuizKnockの本棚」としてフェアを開催していて、
「四季 春―Green Spring」(講談社文庫)森博嗣(著)
を手にとり買って読んでいたら、「すべてがFになる」が気になって、真賀田四季、犀川、萌絵、密室殺人、それくらいしか記憶に残っていなかった事実に愕然^^;
なにが「F」になるのかも忘れていた(*´艸`*)
おかげで面白く読ませて頂き中で、再読するのも良いなか~と趣旨替えした次第!
ミステリーを再読する時、忘れると云うこともいいもんだと、改めて思いました(^^)
でも全てのミステリーにそれが当てはまる訳ではなくて、たぶん、好きな作家、シリーズ等に負うところが多々あるっていうより、それが全てだ!かな(^^)
妖怪やオカルト要素に民俗学や宗教的な側面をあてた本格ミステリとして知られている小説家・京極夏彦さんによる大ヒットシリーズである「百鬼夜行シリーズ」も再読する予定に変更しました(*´艸`*)
思えば、ストーリーもそうですが、そのキャラに惚れこんでしまっていると云うのが最大の要因ですね(^^)
現在、再読中ですが、
一度目は、謎解きと楽しむために読む。
二度目以降は、話のところどころにちりばめられた犯人へつながるヒントを見つけ出す。
等、特に、犯罪に走る心境や脇の人を丁寧に描く人の作品ならば、読み返すたびに、新しい発見、気付きがあるはずと思うので、そこに読み込みの面白さがあるのでは?・・・・・と感じています。
そして、作品を読む自分の年齢で、感想が変わることもあるのかも。
森博嗣も「自分と他人のイメージは決して同じにはならない。同じになる方が気持ち悪い。」と言っていたし、ね(^^)
まあ~なんだかんだ言っても、本格ミステリーに限ってかなとも思うけど、何度読んでも、面白いものは面白いなって、再読途中の個人的感想です!
そうそう、特に、印象に残ったのは、以下の台詞。
P278:
「この世界ではね……。西之園さん」
女はゆっくりと答えた。
「知りたいことは、すぐ目の前で見られるのよ。
話したい相手はいつも目の前にいる。
それが、ごく自然なことです。
それが当たり前のことなの。
そうでしょう?
もともと、世界はこうだった。
でも、今の貴方の世界が、どれだけ中途半端で不自由か考えてごらんなさい。
遠くの声が聞こえ、遠くのものが見えるのに、触れることはできない。
沢山の情報を与えられても、すべてが、忘れられ、失われるしかない。
情報の多さで隣の人も見えなくなる。
人はどんどん遠くにいってしまうわ。
何故、そんなに離れて、遠ざかっていこうとするのかしら?
ピストルの弾が届かない距離まで離れようというのかしら?
目の前にいると相手を殺してしまうからなの?
ねえ、西之園さん……。
神様だって、どうして、あんなに遠くにいるの?
本当に私たちを救って下さるのなら、何故、目の前にいらっしゃらないの?
おかしいでしょう?」
むむむ^^;
現実は多様であり、自分自身もまた多様ですよね。
多様な人生において、何を選ぶか?は、全て本当なら自分の意志で決めるべき案件。
でも、多くの人は、世間や他人に決められたモノ(情報)をみて、自分が思う、より効率的な生き方を生きてしまっている事が多いような気がします^^;
ふと、ワンピースの空島編278話で、「少なくとも、今この国に神なんていないじゃないですか。祈る前に、現実から目をつぶる前に、自分自身が出来ることをやらなくちゃ!」とも、少し通じているような気がしました。
私が思うに、多くの人は、人生を他人に依存しすぎているのかなって・・・・・・
実際に、自分を傷つく行動をしてしまい、悪しきものに取り憑かれたとしても、なんとか種々の困難を乗り越えて、自主性ではなくて、主体性的に良きもの(人生)を選択して獲得できれば、人生は、瞬く間に、別のステージへと突入するんだと気づけるような気がします。
この気付きを与えてくれるのが前述の台詞かなと思うし、そこに気づけると、窮屈な日々(人生)が本当の意味で自由になり、他人に依存する人生から主体的な人生へと変貌を遂げるのかと、そんな事を思いながら、今も、再読中です!
追伸:
読んでいて、以下の台詞も、お気に入りです(^^)
「思い出と記憶って、どこが違うが知っている?」
犀川は煙草を消しながら言った。
「思い出は良いことばかり、記憶は嫌なことばかりだわ」
「そんなことはないよ。嫌な思い出も、楽しい記憶もある」
「じゃあ、何です?」
「思い出は全部記憶しているけどね、記憶は全部は思い出せないんだ」
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