人は自分の過去とは、別れることができない?
普段、手に取ることの少ない本を、パラパラめくり立ち読みしてみたら・・・・・・
こんな会話が目に留まりました。
「別れのあと」 (新潮文庫)小手鞠るい(著)
「自分のこと愛してる?」
「私とどっちが好き?」
こう、彼女から聞かれた彼は、彼女と答えたんだけど、その答えを聞いて、いつか季節が変わり洋服の服を着替える様に、彼との別れを予感します。
ん~確かに、難しい質問だけど、過去の記憶で、今の自分をどう紡いできたのかが、少なからず影響してるんだろうな。
人は人生の中で、数えるのもうんざりするくらい、出会いと別れを繰り返します。
いい思い出も、苦い思い出も全部。
それによって自分は編集されて、そして自分が少しずつできあがっている。
そう言えば、以前、読んだ本の中にも同じような話があったことを思い出しました。
「パイロットフィッシュ」大崎善生(著)
人は、一度巡りあった人と二度と分かれる事はできない。
どんな形で別れを認識したとしても、結局はその人と別れることなどできていない、ということ。
どんな形で別れたにしろ、その別れた誰かの記憶は永遠に残るし、記憶の中でその誰かは成長し、間違いなく影響を与え続けてるんだろうな。
だからこそ、人は出会った人と別れることができない。
言い換えると、人は自分の過去とは、別れることができないんだ、と。
人生の中で誰と出会うか?
誰かとの出会いで運命が違っていた瞬間が確かにあるんだろうね。
この人と出会ってなかったら・・・・・・
いい意味でも悪い意味でも、出会いは人の運命をかなり決定付ける要因のひとつかもしれない。
であれば、最善を尽くして、言葉だけでなく、行動の行為としての記憶というカタチでそれを伝えられれば、自分が相手の中に残した記憶はダイレクトに相手に響き、後悔しない人生を歩んで行けるのかも。
見返りを期待して立てた下手な筋書きをなぞるような人生とは全く異なるんだろうな。
何を得たかではなく、どう生きたかに人生の価値をおく、自分以外の何かではなく自分の中の何かに価値をおく、そんな姿勢で出会えた人と向き合えたら、どんな結果でも受け容れることができるはず。
古代アテナイの三大悲劇詩人であるエウリピデスは、「人の持つ一番の財産は共感してくれる配偶者である」と、言っていたけど、配偶者に限らず、思い出を共有できる相手がいると言うのは、とても幸せなことだと思います(^^)
過去の出来事をクヨクヨ思い悩む傾向がるのなら最善を尽くすことを目指してみる。
後悔の多くは、最善を尽くさなかったことが原因なんだから、受け取る結果は自分を信じて、天に任せれば良いのかなって、そんな気もしないでもないけど、なかなか難しいよな^^;
ただ、今日の愛があるのは、昨日の歓喜があったからに他ならないと・・・・・・
作家の辻仁成はこう言っていました。
「相手を喜ばせるのが気持ちいいと感じることならば、それは、全て愛に違いない」と(^^)
自分の心の声を聞き取れるように、ひとりの時間もちゃんと楽しめるように、つねに心を動かす訓練をして、そうして相手に共感する力がついていき楽しむことができたならば、少しは人生の旨味がわかってくるのかなと、そんなことをふと思った一日でした。