悪いことを考えてみる( ̄ー ̄)
スピノザが「あり余るほど自由な時間のある人間は、たいてい悪いことを考えるものである。」って言っていたけど、長寿で有り余る時間があったとして、果たして人は幸せなのか?と、ふっと考えてしまった^^;
長期的に考えると、忙しすぎるのも暇すぎるのも、どちらも充実感にはつながらない様に思えます。
忙しいと感じられるくらいの、そして、時間が余っていると感じることがないくらいの、自分にとって適度な時間の使い方をしていきたいと考えていますが、もしも、有り余るほどの時間があったなら、人は心の底からやりたかったことをやるだろうか?、と・・・・・・
江戸の儒学者、佐藤一斎は、『言志四録』において、「少にして学べば、壮にして為すこと有り。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず」と記していました。
「[現代語抄訳]言志四録」佐藤一斎(著)岬龍一郎(編集, 翻訳)
己を磨くことが人生を豊かにし、死後までも豊かにしてくれることを説いたこの句に学ぶべきところは多くて、好きなことに絶対時間を費やし、それを突き詰めていくことで、高い専門性に加え、社会にイノベーションという変革をもたらしてくれる可能性も考えられます。
そう考えてみると、有り余るほどの時間があったなら、「やりたい」と「やりたくない」を、自分にはっきりと問いかけられるんじゃないか?と、そう感じます。
ずっと「やりたい」と口では言っていたけど、時間ができてもやっていない自分に気付くかもしれない^^;
その時、どちらを選択するのか?
良いこと、それとも、悪いことを考えるのか?
そういった意味では、このうえない自由だけど、あり余るほど自由な時間は、とっても、不自由な自由というべきかもしれない^^;
そして、有り余る時間のなかで、自分が浮き彫りになっていく感じがします。
例えば、将棋や囲碁は、自分が考える打たれたら一番嫌な場所に、打たれることを想定してるので、悪いことを考えてるとも言えますよ、ね。
また、危険予知として一番最悪な事態を想定し対処してるってことは、やっぱり、悪いことを考えている。
それは、社会生活に置き換えてみた場合、責任を負うということと同義だと思います。
とにかく、悪いことを考えたり、想像するようになったら、一に行動、二に行動、想像の力は強力なので、行動をベースに考えることを、おすすめします!
必要以上に考え過ぎないで、思いついたことは早く行動に移していくことが重要であり、何も考えずに行動するのは問題だけれども、時間をかけ考えすぎると余計な心配が出てきて行動できなくなるので、行動するまでの時間を短縮する気持ちで!
想像力の強さによって、悪いことを想像しだすと、脳みその大部分が悪いことで、どんどん支配されることになるから^^;
そのため、どんなに論理的な考え方で悪い考えを否定したとしても、その論理的な考え方自体を想像力が跳ねのけてしまいます^^;
悩めば悩むほど、深みにはまって複雑に難しく考えすぎてしまうことから、一番いいと思えるものを簡単に、単純(シンプル)に考えて、シンプルに行動することができれば、逆境からの突破口を見出せると考えています。
原点に戻って、頭の中を真っ白にして、単純明快にやってみることで、悪いことを考えないかも、な^^;
悪いことを考えて、仮に、悪いことが起きてしまったときには、どう考えるかだけど、起きたことは受け入れて、前に進んでいくしかなくて、起きたことは変えられないけれど、それをどうとらえるかは自分次第で変えられます。
また、悪いと思うから努力するし工夫もするだろうし、常に、改善できることを日々行っていけば、自然と成長していくことはできると想うので、自己満足することで安心して、向上心をなくさないようにして、満足して安心してしまうと、改善点も見えなくなってしまうので注意したいものです、ね。
シェークスピアも「我々の人生は織り糸で織られているが、良い糸も悪い糸も混じっている。」と言っていたし、どう考えたところで、誰にでも良いこと悪いことは起きるし、いつそれが起きるかも予測はつかないから、ね^^;
ただ、人生100年時代を迎え、私達は膨大な時間を手にしてしまったのも事実^^;
そのあり余るほどの時間に人は、何を見出すのか?
いまからでも時間を意識して行動すれば、時間の価値は変わっていくし、セネカに言わせると「人生は短い。人間に与えられた時間は、束の間の虹のごとくである。」でもあるから、時間は限られているということを考えて、いまできることをやっていこうという考えで、毎日を、過ごしています(^^)
失われた時間はもう戻ってはこないし、後悔しても変えることはできないから・・・・・・
簡単に効率よくできることより、手間と労力がかかることを重視してみる。
全てが自分の思い通りにはならないが、自分が決めなくては後悔することになる。
自分が納得できて、自分が充実できると思える時間の使い方をしてみる。
また、時間と手間をかけなければできないことは、そのことに価値があるとも言えます。
無知による失敗を怖れるあまり、行動することなく勉強ばかりに力を注いでいると、失敗によって失うものより、さらに大事なやる気と時間を失うことになると、畑村洋太郎さんも言っていたし、ね!
情報化社会の到来により、個人による情報の受発信が活発化し、価値の多様化の扉が開かれたことで、どんなことに手間と時間をかけるか?が、問われているのかもしれません。
このnoteも含めたSNS等で、発信と評価の場を得られた私達は、互いに交流しあい、さらに学習することで、ますます好きに磨きがかかっていけることができると思いませんか?
この潮流は、社会から押しつけられた価値観ではなく、自らの手によって作り上げた価値観として、自分を再構築していく良い機会だと、そう捉えています。
【参考サイト】
良いこと、悪いことってなに?
https://www2.nhk.or.jp/school/movie/outline.cgi?das_id=D0005180290_00000