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Midnight To Stevens(7)
最初に翻訳を始めてから、早いものでちょうど2年経過していました。
相変わらずガイに関する情報は少ないのですが、2003年の9月に行われたガイの元妻であるディ・スティーヴンスのインタビューがありました。インタビュアーは Bill Brewster というDJ 兼 音楽ライター。
ディの記憶が曖昧なのか、それとも当時の事情がよく判っていなかったのかは不明ですが、正直ガイの回想録としてはやや残念な感
Midnight To Stevens (Extra Edition)
こんにちは。
今回、再びMOJOマガジンから離れて寄り道したいと思います。
ガイについて色々調べているうちに、またいろいろ興味深い話を見つけてしまったので。
また、今回はガイについていろいろ個人的に感じたことなども付け加えちゃいました。
そしてそして!今回は、大好きなイラストレーターさくらいはじめさんが描かれたガイのイラストを文中に使用させていただきました。嬉しいです!
さくらいさん、ありがとうご
Midnight To Stevens (6)
新年あけましておめでとうございます。
とうとう年を跨いでしまいましたが、今回が最終回になります。
長い間のおつきあい本当にありがとうございました。
本編最終回の最後にこの翻訳のまとめのタイトル、The Clash が ガイ・スティーヴンスに捧げた " Midnight To Stevens " の拙訳も入れています。
他の曲の歌詞に比べて、ライムやポエトリーな方法ではなくとてもスト
Midnight To Stevens ⑸
更新がだいぶ遅くなってしまいました。
次回が最終回になりそうです。今回は Mott The Hoopleとの関わり合いと別れ、そして…例のアルバムのプロデュースへと続いていきます。
紆余曲折はあったものの、ガイの手によって Mott The Hoople はしっかりとしたバンドとなった。ソニー&シェール、ダグ・サーム、ザ・キンクスのカヴァーを提案したのもガイだった。そしてバンドは、イギリス・
Midnight To Stevens ⑷
最後の投稿から早くも1ヶ月が経ってしまいました。1ヶ月って早い。
さて今回は第4回目。(前回はスピンオフだったので)
今回からガイのキャリア中、最も高く評価されている Mott The Hoople 時代へと突入します。
正直、私にとってのガイ・スティーヴンスは、" The Scene Club " の看板DJであり、UK Sueの創始者であり、The Clash " London Cal
Midnight To Stevens ⑶
暑中お見舞い申し上げます。
早いもので、ド素人の「ガイ・スティーヴンス」翻訳と考察も3回目を数えます。
相変わらず訳していても楽しいですし、みなさんからの「続き楽しみにしてるね!」のお声も大きな励みになっています。大変失礼ではありますが、この場で御礼を言わせてください。どうもありがとうございます。
それでは、前回の続きです。今回は MOJO翻訳の続きになります。
Island Records
Midnight To Stevens ⑵
またここでお会いできてとても嬉しく思います。拙い翻訳文にも関わらず、読んでくださり本当にありがとうございます。
さて、これからも 1994 年の MOJOのGuy Stevens記事翻訳をご紹介するつもりです。でも、その前に今回、少し寄り道をしたいと思います。MOJOの記事は、ガイの生涯を関係者たちからのヒヤリングによってまとめたもので、大変よくできているのですが、今回から Sue Rec
Midnight To Stevens (1)
はじめまして。
MOJO マガジン1994 年の8月号に掲載された、鬼才ガイ・スティーヴンスの記事を、翻訳してみました。いざ翻訳してみると、もうワクワクが止まらず、いろいろ調べ始めてしまいました。
ですので、この記事の翻訳をしながら、私なりに調べ、見つけた他の記事の翻訳も併せてご紹介できたら…と考えています。彼に対する思い入れから、つい私的なコメントや考察なんぞも挟んでしまうかもしれません(笑