原田マハさん「群青 The Color of Life」(『常設展示室』)覚え書き
「朝、目覚めると、世界が窮屈になっていた」
原田マハさんの短編集『常設展示室』の冒頭におかれた『群青』は、このようなカフカの『変身』を思わせる文章で始まる。
主人公は、メトロポリタン美術館(メット)で働く日本人キュレーター美青(みさお)。
子供時代からの夢の場所だったメットで働く彼女を、突如襲った異変―――その正体は、緑内障だった。
そんな美青が、病院で出会う少女パメラ。彼女は、生まれながらに弱視で、しかも視力は衰えつつあり、いつかは完全に失われる。
それでも、彼女はアートが、特にピカソがお気に入りで、顔を画集に押し付けるようにして見る。少しでも見えるうちに、見ておきたいから。
「ピカソのどんなところが好き?」と美青に対する、少女の答えは「大きな色」。
確かに、本文中でも言及されていたが、青の時代、バラ色の時代、キュビズムの時代…それぞれ異なる色が画面を覆っている。
「大きな色」
飾らない言葉が、胸に刺さる。
美術について知りたくて美術史を勉強した。が、そのうちに知識や資料に囚われて、何も考えずに「きれい」とかそういう事が言えなくなっている自分に気づいた昔を思い出した。
自分は、本当に美術が好きなのかもよくわからなくなって、とにかくひたすらここから、大学から出て、美術から一度距離を取りたい、と願った。
そのことは間違ってはいなかったと思う。あのまま、ぐずぐずと大学に残ったところで、緩やかに腐っていっただろう。自分が今より自信を持って振舞っていたとは到底思えない。
そうして、無理やりにでも距離を取らなければ、ライターとして、展覧会に寄せた記事を書くこともあったかどうか。
ああ、脱線してしまった。
作中の少女の一言が、そしてアートへの愛に、動かされたのは読者である私だけではない。
美青もだ。もう手遅れなまでに進行してしまった緑内障によっていつかは失明する運命を背負ってしまった彼女は、自分が「見る」ことへの情熱を失っていたことを悟る。
そして、美青が最後の仕事として関わる、子供向けのワークショップの中で紹介されるピカソの<盲人の食事>について、担当キュレーターが語る言葉も印象的だ。
「ピカソが描きたかったのは、目の不自由な男の肖像じゃない。どんな障害があろうと、かすかな光を求めて生きようとする、人間の力(アビリティ)なんです」
ピカソについては、キュビズムのイメージが強い。
初期の<盲人の食事>とタイトルを出されても、すぐにはイメージできなかった。にも関わらず、この台詞を見ただけで、心がうずくのを感じた。
見たい。
できるなら、その作品の前にしばし立ちたい。
そして、ピカソという巨人について、その初期の作品について知りたいと思う自分がいた。
小説は、メットを訪れたパメラを美青が抱っこして、ピカソの<
盲人の食事>を二人で眺めるシーンで終わる。
どうか絵の中の男が持つ、ジョッキに、水でもワインでもビールでも、コーラでも良い。彼の好きなものが入っていますように。
一時でも幸せが、かすかでも光がありますように。
二人の祈りに、私は目を伏せた。
これから先、日本の展覧会でピカソが、特に初期作品が一点でも来るならば、会いに行こう。