【人生ノート 248ページ】とにかく理想に向かって突進すべきである。できる出来ぬは問題ではない、でかすべく努力することがよいのだ。
できる範囲で
玉石混交のメチャクチャな世の中がいやになって、こんなことでは、とても一代や二代の間にはどうにもこうにもおさまりはつきそうにもない。自分ひとり、どれほど気張ってみたところで何になる。いっそのこと、どうなりこうなり自分の身だけが無事に食ってだけゆければそれでよい。まア、生まれ変わるまで待たなくては、とても良い目を見ることもできまい。この世の使命はとにかく、こうやって縮こまって、めぐりの借銭なしをしておればよいのだ。と幾度か思うけれども、また一方、
「いや、そうでない、たとえ今の世のありさま、汝の境遇は決して真のものではないにしても、この世においては、この世においての出来るだけの仕事をせねばならぬ。あくまでも進取的に、たとえ汝の代一代には大した大勢の変化がないにしても、
とにかく理想に向かって突進すべきである。できる出来ぬは問題ではない、でかすべく努力することがよいのだ。
あたえられた境遇にあまんじて、とにかく、何か建設的な目標をたてて、それに向かって驀進せねばならぬ。
少しでも、よりよきことに向かって精力をそそげば、すなわち、少しでも生き甲斐があることになるのである」
と直ぐ、どこからか耳のところで叫ぶ。
又そのものが続けていう。
「世に酔生夢死ほど恥ずべきことはない。精神的、肉体的に、自分は生まれて以来、どれだけの進歩をとげ、どれだけの仕事をしてきた。それで、いままさにどれだけの仕事をなさんとしつつあるという自覚のないなまくら者ほど、天下の穀つぶしはない。
ただ生きて食って、寝て起きて、そして墓場へ行ってしまうのでは、これ全く、人と生まれさせられた甲斐はない。
普通一般の虫ケラと何らのえらぶところはない。鳥や獣でさえも相当の天地間の大神業のお手伝いを、かむながらに務めているのに、万物の霊長と生まれさせられた人間が、そんなことでは誠に恥ずかしいことではないか。
自分にできる範囲の仕事でよい。大きなことに手を出したところで、単に空想に終わるから、自分の力のおよぶ範囲のことに手を出して、ますます建設的、積極的な態度に出なくては、現界的神業はおくれるばかりである。これをよく心得るがよい」
『信仰覚書』第二巻 できる範囲で 出口日出麿著
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