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【人生ノート 249ページ】みなそれぞれに、無理なしになし得ることを面白くなしていったらよいのだ。

興味もてる仕事を

要するに、真実に自己の内心に忠実であったらないのだ。

いかに気ばったところd,英雄ならざる人には英雄のまねはできるはずはないし、哲人ならざる人が、哲人をよそおうことも到底できるものではない。

他人は他人、自分は自分、みなそれぞれに、無理なしになし得ることを面白くなしていったらよいのだ。

無理をすると、どうしても苦悩がともなう。元来、神は人間をその手足として働かせるためには、みなそれぞれに、興味あることをさえして行けば、自然に、その職能が果たしてゆけるように仕組まれているのだ。それなのに、いまの人たちは人間的理智にわざわいされて、自己には、なんらの興味も

愉快もないことでも、単に一般的の名誉とか生活というものに囚われて、その日その日を、苦しく悩ましく送っているのが八、九分だ。

真に興味を有することに各自は従ってゆきさえしたらよいのだ。それが他人から見て愚に見えようが、狂に見えようが、そんなことまで気にしていた日には、自己がこの世へ生まれ出た所以が分からなくなってしまう。

気分が変わるのは霊が変わるからだ。

よく省みて、悪霊だと思う時には、努めてこれに打ち勝つようにし、さしつかえないと思う時には、ドシドシ思うままをなしていったらよい。

しかし、われわれの理想は神人合一の境に達するにある。だから、この境に達するまでは大いに省みる必要はあるが、もはや、悪魔とは絶縁してしまって、すること為すこと、これ善これ真、というほど迄の境に達しえた人ならば、その人は常住坐臥が惟神の大道にかなっているのである。

これは現実には到りがたい理想ではなくして、信神、修養の結果は、誰でも到りうる境涯だと思う。

『信仰覚書』第三巻 興味もてる仕事を 出口日出麿著

【これまでのノート】


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