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【人生ノート 255ページ】 思うたことをサッサと片づけて、頭を常に空にしておく工夫が肝心だ。

人間は人間を基調として。

人間は、とにかく、したいようにするのが一番よい。現代人は次第に科学のために、天賦の本能というものを鈍らせているが、いくら科学が進歩したって、本能ほど鋭敏に、かつ生活に導いてくれるものはありはしない。せっかく与えられている驚くべき霊能を活用せずして、これに錆をつけていることは実に悲しいことである。

科学は遊戯であり気まぐれの仕事であって、決してこれが人間を導いてくれるものではない。人はこの世幸福に生きて行くことが第一義であって、科学はそのためにの一奴隷の役をつとむるに過ぎない。本末顛倒してはならぬ。

心に思っていることを、強いて外へ表わすまいとすることは苦しいことだ、悪いことだ。霊は形を表わさんことを求めてやまないものであるから、これを強いて表わすまいとすれば、いきおい、そこに無理が生じ、肉体を損ない精神を傷つけることになる。

思うままを、なんのこだわりもなく、流れ行く水のごとくにスラスラとなして行くのが、一番幸福な生き方である。人間は、けがれなき本心にみがきさえしたなら、思うままをなしていて、決してさしつかえるものではない。

神さまは人をして、つねに喜びつつ天地完成の大神業に従事さすように、すべてをお作りになっているのである。

よくしゃべり、よく笑う人は罪なきなり。

めぐりある人はあくまでも謙遜に、つねに奉仕的態度で仕事をせねばならぬ。めぐりある人が立身出世を望んだり、人をそねみ疑うなどしていては、ますますめぐりを重ねるだけで、ながく苦しむことになるのである。人は誰でもめぐりが除れてしまうまでは、大いに内省して、善を心掛けねばならぬ。

めぐり全くなき人は心がきれいであるから、たいした努力を払わなくても、スラスラと善道を進むことが出来るのである。めぐりなき人の顔は、血色よく生き生きとしていて福々しい。むろん、身体も息災である。

思うたことをサッサと片づけて、頭を常に空にしておく工夫が肝心だ。

いろいろに変わる人の心みなそれぞれの神の心

四季を通じて一年なべて心がわれ

今日をもって昨日を嘲るな明日を思うて今日しりごむな

悲しい時は泣けうれしい時はおどれ

食べよ恋せよ望めよ愛せ

変わるままに変われ次第によく変われかわれかわれとわに変われ

この間から一時に、しけやら、火事やら、地震やら、人殺しやら、衝突やら、墜落やらが増えているように思われる。こうした災害事も、きっと周期的に行われているに違いない。そして何かを暗示しているに違いない。

天災人事、すべてこれ天地の意志表示であるから、われわれはよくこれを考えねばならぬ。

『信仰覚書』第一巻 人間は人間を基調として

【これまでのノート】


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